たが、それでも娘の極度の悩みに心を動かされて、その申し出《いで》を許してやった。その告白なるものは、エドヴィナ伯爵は自分の腕に帰ってきて、ジプシーの老婆が父の邸へ連れて行った子供は、エドヴィナ伯爵と自分との仲に出来た子供だというのであった。X市には、Z伯爵が哀れな姉娘を城へ連れて帰ったという噂が立ったが、その実、アンジェリカは依然として例の執事の監視のもとに、かの廃宅に隠されていたのであった。
 Z伯爵は間もなく世を去ったので、ガブリエル夫人は父の亡きあとの家庭を整理するためにX市に戻ってきた。もちろん、彼女が姉のアンジェリカに逢えば、かならず何かの騒動がおこるに決まっているので、ガブリエル夫人は不幸な姉に逢わなかった。しかも、その夫人は不幸な姉を老執事の手から引き離さなければならないことに気がついたと言っていたが、その理由は私にも打ち明けなかった。ただいろいろのことから帰納的に想像して、かの老執事が女主人公の暴れ出すのを折檻《せっかん》して取り鎮めるとともに、彼女が金を造り得るという妄信に釣り込まれて、彼女のものすごい試験の助手を勤めていたことだけはわかってきた。
「さて、こうした不思議な事件の心理的関係を、あなたにお話し申す必要はあるまいと思います。しかし、かの精神病の婦人の回復が死の鍵である最後の役目を勤めたのは、明らかにあなたであると思います。それからあなたに告白しなければならないのは、実は私があなたの頸《くび》のうしろに手を当てて、あなたの催眠状態の母体になっていた時、わたしは私自身の眼にもあの鏡の中に女の顔を見て、はっとしましたよ。しかし、ご安心なさい。あの鏡に映ったのはまぼろしの女ではなく、エドヴィナ伯爵夫人の顔であったということがやっと分かりましたよ」

 博士の話はこれで終わった。博士はわたしの精神に安心をあたえるためにも、この事件について、この以上には解釈のしようがないと言ったので、その言葉をここに繰り返しておきたい。
 私もまた今となって、アンジェリカとエドヴィナ伯爵と、かの老執事と私自身との関係――それは悪魔の仕業《しわざ》のようにも思えるが――その関係を、この上に諸君と議論する必要はないように思われる。私はこの事件の直後、拭《ぬぐ》い去ろうとしても拭い去ることの出来ない憂鬱症のために、逐《お》われるようにしてこのX市を立ち去った。それでもなお一、二ヵ月は気味の悪い感じがどうしても去らなかったが、突然それを忘れてしまって、なんともいえない愉快な心持ちが幾月ぶりかで私の心にかえってきたということだけを、最後に付け加えておきたいのである。
 わたしの心に、そうした気分の転換が起こった刹那に、X市ではかの気違いの婦人が息を引き取った。



底本:「世界怪談名作集 下」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年9月4日初版発行
   2002(平成14)年6月20日新装版初版発行
入力:門田裕志
校正:hongming
2003年11月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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