の出殼だ」と云ふ評判が立つやうになつた。會が衰へて來たことは事實として、その原因の一つにジヤアナリズムの波の浸入といふことが擧げられる。然しさう大袈裟に詮索するまでのこともない。何故かとなれば、龍土會はもともと無心であつたからである。無心のうちにも小さな魂だけは包藏してゐたからである。問題はその小さな魂の行方である。わたくしはこゝで臆測して多言を費したくはない。若し果してソツプの出殼であるなればまだまだ功利的の處置に委ねられやう。失はれた魂であつて見れば手のつけやうがない。
 龍土會もかゝる状態で、久しく麻痺の徴候に陷り、進行が遲々となつてゐたものゝ、長谷川天溪君が先立つて英吉利に向ひ、後れて島崎藤村君が佛蘭西への旅に出發する日に遇つて、兩君の行を送るだけの力はなほ幾らか餘してゐたものゝやうに考へられる。島崎君の外遊は大正二年春のことであつたから、龍土會の終幕が完全におろされたのも恐らく同時であつたかも知れない。わたくしは既に文壇に遠ざかつてゐたことであるし、その後のことは何一つ記憶してゐない。
[#地から2字上げ](大正二年。昭和十三年)



底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
   1980(昭和55)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「飛雲抄」書物展望社
   1938(昭和13)年12月10日
初出:「文章世界」
   1915(大正4)年4月
※初出時の表題は、「龍土會追想録」。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:広橋はやみ
校正:川山隆
2007年8月14日作成
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