て来る。そして無心で、いろいろの宝を、その小槌から打出しては、それを惜しげもなく鶴見に贈る。こういう考が鶴見の心の隅《すみ》の、どこかの曲《くま》に蟠《わだかま》りはじめた。憑《つ》きものに魅せられたようである。
思想はさまざまに動く。それはそれで好いと思い返しても見る。芸術の複雑性はそこから生まれて来る。その作用は豊饒でなくてはならない。ここに芸術のコルヌコピアがある。打出の小槌がある。
鶴見はそんな事にまでも思を馳《は》せて、二十余年の昔の夢から今日に及ぼして、それを心の中に繰り返して見て、『起信論』全体を納得しようと念じているのである。
蘭軒伝の中で、鴎外が特に二章を費して考証しているものに楸《しゅう》がある。これも外来植物である。丹念に検討したあとで、実際的智識に富んでいる、その道の人としての牧野さんに頼んで、説明を求め、最後の解決がつけてある。極《ご》く約《つづ》めて言えば、楸はわが国のあずさ[#「あずさ」に傍点]かきささげ[#「きささげ」に傍点]かという疑いである。牧野さんはいう。普通あかめがしわ[#「あかめがしわ」に傍点]を梓《あずさ》に当てているが、昔わが国で弓を作った木は、今でも秩父《ちちぶ》であずさ[#「あずさ」に傍点]と称している。この方には漢名はないということである。鴎外は専《もっぱ》ら漢土の文献について説を立てているのであるが、楸は漢土では松柏《しょうはく》の熟語と殆ど同義に用いられ、めでたい木で、しかも大木になるとある。普通の辞書にはあかめがしわ[#「あかめがしわ」に傍点]に梓字を当てて、版木《はんぎ》に使われるとある。上梓《じょうし》とか梓行とかいうのはそれであろうか。そして見ればむこうでいう梓はあかめがしわ[#「あかめがしわ」に傍点]かとも思われる。牧野さんはまたいう。あかめがしわ[#「あかめがしわ」に傍点]は上野公園入口の左側の土堤の前に列植してある。きささげ[#「きささげ」に傍点]は博物館の庭にあると。鴎外はこれに附記して、自分は賢所《かしこどころ》参集所の東南に一株あったと記憶するといっている。
きささげ[#「きささげ」に傍点]は『万葉』に出ているひさき[#「ひさき」に傍点]のことである。鴎外は『万葉』のひさき[#「ひさき」に傍点]には少しも触れていない。鶴見はそのひさき[#「ひさき」に傍点]について書いて置きたいこと
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