》であり、指先きである。役にも立たぬ雑草は彼の妄想でもあろう。そういう感じは年老いた今日までもまだ変っていない。
 鶴見は鎌を揮いながらさまざまな匂を嗅いだ。どんな草にもそれ相応の特色がある。同じ青臭さのうちにも一つ一つ違いがある。折から白い花を咲かせているどくだみ[#「どくだみ」に傍点]は、その根を引き抜くとき、麝香《じゃこう》のような、執念ぶかい烈しい薫《かおり》を漲《みなぎ》らす。嗅神経がこれを迎えて、遑《あわ》てていよいよ緊張する。鶴見はそれをあたかも幼馴染《おさななじみ》が齎らして来たもののように懐かしむのである。

 話が一度どくだみ[#「どくだみ」に傍点]の事になると、鶴見にはいつでも喚起される聯想《れんそう》のひとつがある。石川啄木に関することである。中央の詩界に華々しい初見参《ういげんざん》をした上に、なおも暫く活動をつづけていたが、やがてまた寂しく故郷の盛岡へ帰って行った直《す》ぐ後のことである。当時鶴見はどくだみ[#「どくだみ」に傍点]の詩を作って或る雑誌に寄稿した。啄木はその詩を読んだといって端書を一本送って来た。端書にはこういうことが書いてある。君はどくだみ[#「どくだみ」に傍点]に白い花が咲いて、それが四弁だと数えているが、あれは植物学上、実は萼片《がくへん》に当るもので、花びらではないというのである。それだけのことを注意するためにわざわざ端書をよこした。鶴見は御苦労なことと思っただけでそれなりにしておいた。今になって考えて見れば啄木もその頃既に変った風格を具えた人間であった。あの矯飾していたような中に生一本《きいっぽん》な気質を蔵していたということが分って、こんな些細《ささい》な事が快く思い出されるのである。
 鶴見は啄木のことを回想しながら右の手に出来た肉刺を見返した。だいぶ膨《ふく》れてはいるがひどく痛みはしない。それで夢中になって鎌を扱っている。二時間くらいはすぐ立ってしまう。
 そんな仕事を二、三日つづけてしていたので疲れが出てぐったりしているのである。

 鶴見は思った。おれには植物に対する興味が押え切れぬほどある。鬱屈した気分を解くには草木|花卉《かき》のことを考えるに限る。鶴見はさきに『死者の書』を読み、感動して、動物の姿を追うて、過現未の三世《さんぜ》に転々した。動物のことを考えると自然に輪廻の思想にはまり込んでゆく。そ
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