かで、一方ではこのありさまである。その光景にひどく驚いたが、店の主人は顔馴染《かおなじみ》でもあるし、鶴見にしてからがその店の前は素通りにはできなかった。恐らく市内でここがただ一軒残った古本屋であるかも知れない。そう思って見るとなお更のことである。
 鶴見は店にはいって、いつもするように書棚の前に立って、ぎっしり詰めてある本を仔細に調べて行こうとしたが、それを為すだけの根気も既に失せていた。目がちらちらする。精力の尽きているのを知って、鶴見は我ながら情なくなる。それでも多数の書のなかから三冊を選んで購って来た。
 その三冊というのは、真淵《まぶち》の評伝と、篤胤《あつたね》の家庭や生活記録を主として取扱ったものと、ロオデンバッハの『死都ブルウジュ』の訳本とである。
 鶴見はやっとの思いで、転出先の農家に帰り著いた。そして手に入れた三冊の本を机の上にならべて見た。これが果して自分で選び出して来たものか、どうしてもそうとは思われない。まるでちぐはぐで三題話の種にもならないじゃないか。鶴見は例の癖で自嘲の念に駆られながら苦笑した。
 とにもかくにも、鶴見はこの三冊の外には読み物を持たない。それで先ず真淵から手をつけた。
 真淵に「うま酒の歌」というのがある。
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うまらにをやらふ(喫)るがねや、一つき二つき、ゑらゑらにたなぞこ(掌底)うちあぐるがねや、三つき四つき、言直し心直しもよ、五つき六つき、天足し国足すもよ、七つき八つき。
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 評伝はこれを引用して置きながら、その歌には余り価値を認めていない。鶴見は一読して感歎した。それから毎日のように口誦《くちずさ》んでは、そのあとで沈思しているのである。
 鶴見にはこの歌につき別に思い出があって、それが絡《から》みついて、その印象をますます深くしている。それというのは、先年静岡市の図書館で名家墨蹟記念展覧会が開催されたことがある。その会場で真淵の横幅物を見た。浜松の某家からの出品である。鶴見はその幅の中で、一度この「うま酒の歌」を知っていたからである。知ってはいたが最早《もはや》十年も昔のことである。忘れていたといっても好いぐらいである。よく練れた温雅な薄墨の筆蹟で、いかにも調子は高いが、どこまでも静かにおち著《つ》いていて、そこにおのずから気品が備っていたように覚えている。
 この「
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