うさい》は鰻酒《うなぎざけ》というものを発明したそうだが、おれの南蛮渋茶の方がうわ手だな。だれか南蛮渋茶を飲み伝えてくれる人々がありそうなものだがね。」
「随分おめでたい話ですな。もう好い加減にしておつもりにしましょう。」
「何ね。そんなに痺《しび》れをきらさないで、もう少し我慢して聞いているのだね。しかし今度は本物の方だよ。」
鶴見はますます乗り気になって長話をはじめた。
その長話というのはこうである。鶴見はそれが夏時分であったということを先ず憶《おも》い起《おこ》す。自家用の風呂桶《ふろおけ》が損じたので、直《なお》しに出しているあいだ、汗を流しにちょくちょく町の銭湯《せんとう》に行った。鶴見にはその折の情景がようように象《かたち》を具《そな》えて喚起されるに従って、その夏というのは日華事変の起ったその年の夏であったように思われてくる。
或る日のことである。晩方早目に銭湯に出掛けて見ると、浴客はただ一人ぎりで湯槽《ゆぶね》に浸《ひた》っていた。ほどよく沸いた湯がなみなみと湛《たた》えられて、淡い蒸気がかげろうを立てている。その湯のなかで、肌の生白《なまじろ》い男が両手をひろげて、泳ぐような真似をしていたが、鶴見を迎えて「静岡は水道が好いので水がこんなに澄んでいる。それにこの水の柔らかさときたらたまりませんな」と話相手欲しそうにいった。
鶴見はこの男を貨物の注文を取りに来たか買出《かいだし》に来たか、そんな用事で、近所の商人宿に泊っているものだろうと思って見た。
その男と話しているうちに、何かの拍子《ひょうし》から、話は琉球の泡盛《あわもり》のことに移った。最近その泡盛を飲ませる店が、この風呂屋の向横町《むこうよこちょう》に出来て、一杯売をしている。鶴見もついさっきその店の前を通ってきたのである。スタンドの上にコップが数個並べてあり、その前に椅子が二、三脚置いてあるのが見える。設備といえばただそれだけに過ぎない。一杯売の外には多量に分けられぬというのを、近所の誼《よし》みでと無理に頼み込んで、時々一升|壜《びん》を持たせて買いに遣る。鶴見は平生《へいぜい》の飲物としては焼酎《しょうちゅう》を用い、焼酎よりもこの泡盛が何よりの好物《こうぶつ》である。
泡盛の話を最初にしかけて来た商人風の男も、だんだん聞いてみると、この横町の店に毎日通っているということ
前へ
次へ
全116ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング