でしょう。上々吉《じょうじょうきつ》の相です。」そういわれて、まんざらでもない表情が顔色にあらわれる。藤村は首尾よく及第したのである。
 次に鶴見が宣告を受けた。「あなたは注意なさらなくてはいけない。」といって、観相家は改めて左の手を開かせて、天眼鏡《てんがんきょう》で物々しく見てから、その掌を指でたどって、「ここにこういう風にからまった線がありますな。あなたはどうご覧になりますか。ここをこうつなげば女という字が出る。あなたには女難《じょなん》の相がある。」これはまた手厳しい申渡しである。
 それを聞いて、鶴見は何か痛切な心持にこそばゆいような感じを交えて、押黙っているより外はなかった。
 活東は何といわれたか、すっかり忘れてしまって、一言もおぼえていない。
「手相も馬鹿にはできないね。」と、藤村はそこを出てからいった。
「当るような、当らぬようなことをいっておいて、実はこちらで判断するように仕向けるのですな。どうして、どうして手馴れたものだ。」誰にいいかけるでもなく、そういっている藤村の言葉を聞き放して、鶴見はひとりで嘯《うそぶ》いていた。
 これで浅草へ遊行《ゆうこう》を試みた意義は完了したことになる。
 藤村が東京を引き払って、信州の小諸に赴任して浅間山のふもとで新生活をはじめたのはそれから一と月たたぬうちであった。藤村の芸術的生涯の第一期が、ここにまた完成を告げたのである。
 その藤村が今では大磯の土に親んで、記念の梅樹の下にその魂を寄せている。藤村も宗祇《そうぎ》や芭蕉と同じように自庵では死なないで、ずっと広い世界に涯《はてし》ない旅をつづけている、死んで永遠に生きるのである。それをおもえばよい死かたをしたものと、羨《うらやま》しくもある。これはこころがけていても、たやすくは出来がたいことであろう。

「妓に与ふ」と題した自作の歌を自書して、簡単に表装したのを壁にかけてある。その軸物におりおり眼をやって、盞《さかずき》をふくむ。酒を飲んでくつろげばくつろぐほど胸元《むなもと》がはだけて、そこから胸毛をのぞかせる。それぐらい花袋《かたい》は肥《ふと》っているのである。妓のおもかげと酒とが三昧境をかれの前に展開する。好いここちに浸り切った花袋がそこにある。単に花袋と呼ぶよりも花袋|和尚《おしょう》と呼んでみたい。酔態の中にも一種の風韻がある。近眼鏡の奥には慧敏
前へ 次へ
全116ページ中104ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング