それが殆ど毎日の仕事である。女が相手をする。名家の育ちだけあってものごしは上品で、言葉つきもやさしい。色は衰えたといってもまだ残《のこ》んの春を蓄《たくわ》えている。面《おも》だちは長年の放埒《ほうらつ》で荒《すさ》んだやつれも見えるが、目もと口もとには散りかけた花の感傷的な気分の反映がある。そういう女を茶室のうちに据えて見れば、艶《つや》めかしく風流でないこともない。
その女と共に鶴見の継母も相手になる。順番に炉《ろ》の前で、複雑な手前をする。
継母もさる支藩邸の奥向きを勤めて、手もよく書けば歌道も一通り心得ている。継母はこの女を嫌っていた。その心理はよくわかる。父親は父親で、この母が手もうまく和歌も相応によむのを何か出来過ぎでもあるようにして嫌っていた。それも思えば口実であったろう。そして時々訪ねてくる歌の師匠の老人をも嫌っていた。
その老人があの今井克復翁である。大阪で、大塩平八郎の騒動のあったとき、惣年寄《そうどしより》として火消人足を引きつれて大塩父子の隠家《かくれが》を取り巻き、そしてこの父子の最期《さいご》を見届けたという、その人である。大家《たいか》の生れでさすがに品位も備わり、濶達で古いことをよく記憶していた。中島|広足《ひろたり》とは姻戚であった。翁の夫人がたしか広足の娘であったように聞いていた。隣町に住んでいたので、短冊を背中に入れて気軽く訪《たず》ねてくる。弟子の家を廻り歩くのが何よりの楽しみであったらしい。若いおりは能楽に凝って、そのために大きな身代をなくしてしまったということである。翁の歌は『新古今』の伝統を守って、『万葉』を遠ざけ、桂園《けいえん》を疎外していた。翁は万葉張りを揶揄《やゆ》していた。鶴見が『万葉』を好んでいたのを感づいて知っていたからである。
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うばたまの闇雲《やみくも》いそぐかごの中に
富士を見ながらむすこ行く見ゆ
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これなどどうですと高笑いをして、翁は右の歌を書き示した。加茂季鷹《かものすえたか》の作だというのである。
父親がこの老翁を嫌うのは老翁その人を嫌うのではない。それが鶴見に分らぬでもなかった。
或時父はこういった。鶴見が父の晩酌の世話をしているおりであった。継母は留守であった。父は小姓でも抱えたような気になって、鶴見に世話をさせて喜んでいる。「あのな
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