会が開設される。万事が改まって新しく明るくはなったが、また騒がしくもなった。その騒しさが少年の心を弥《いや》が上にも刺戟した。まだ社会の裏面を渾沌《こんとん》として動きつつあった思想が、時としては激情の形で迸《ほとばし》り出《で》ようとすることがある。
憲法発布の日には、時の文相|森有礼《もりありのり》が暴漢のために刺殺された。事実の痛ましさはめでたい記念日の賑《にぎわ》いに浮き立っていた誰しもの胸を打った。しかしその惨事が国運にどれだけの意義を持っていたかは、当時の少年などに分ろうはずもなかった。ひとり少年とはいわず、然るべき識者にしても恐らくそうであったと思われる。一口にいえば文明開化と国粋思想の相剋《そうこく》である。それが将来に如何なる展開を示すものか、その意義を正しく認識し批判し得るものは恐らく稀であったろうと思う。世間では大部分雷同して森文相の自由主義を攻撃していた。それでも外国文化の移入は国粋思想の抵抗によってそれほどの影響も受けずに、むしろ両々《りょうりょう》相待って進んで行った。国学の再興にしても、その根蔕《こんたい》には文化に対する新しい見解が含まれていた。
時代思潮は暗黙の裡《うち》に進んでゆく。無理をしてまで押通そうとするのではない。いわば社会を動かす全生命の力である。物をも言わずに絶えず物を言っている。そういうところにその強みがある。創造の能力がそこに見られるからである。鶴見の少年期はそんな時代の波をくぐって来た。その一事を生涯のよろこびとすることを、彼は私《ひそ》かに誇りとしている。そのよろこびの中でかれはこれまで幾度か若返って来たのである。今でもそうである。「おれにはそうとしか思われぬ」といって、かれはその時代に対する讃美を惜しんでいない。
とんぼ釣をやめて急に大人びたかれは、とんぼの代りにこれから先釣り出して見たいと思うものを、空想のかたちにおいてでも持っていなければならぬはずであった。かれにはそういう考がなかった。この時になってもまだ自己について何らの思量をも加えずにうっかりとしていた。人生を無意識に遊戯の場地と見なす癖は改まっていない。家庭でこそかれを強圧するものがあり、畏縮《いしゅく》させるものがあったとはいえ、一たび外に出れば、そこには自由な小天地がかれをここちよく迎えてくれた。とんぼの代りに自然を観察することが、かれ
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