にも見たのである。
「おれの生涯は敏慧で親切で寛容な夫人の優雅な言葉を縫糸《ぬいいと》にしてはじめて仕立てられた一領の衣である。おれにはそう思われて仕方がない。清新と自主と自由とが縫い目縫い目に現われている。野性に圧された重たい麻衣の上に少しばかりの柔靭《じゅうじん》さが加わったとすれば、あの不思議な縫糸と自然な運針とを仔細《しさい》にあらためて見ねばならない。そこにはあの奥深い情味のこもった宗教の香味がそこはかとなく匂っているのである。
冥々《めいめい》の化ということがある。夫人の長い生涯の間の感化がそれである。いつとは知れず、その感化がおれの体に浸み込んだのだ。そしてそれが冥々の裡《うち》におれの思想を支配していたのでもあったかのように反省される。この夫人ならおれの生母のいきさつをも熟知していたかも知れない。おれはおりおり聞いて見ようとしたが、口には出せなかった。おれにはつまらぬ片意地がある。それでいつも損ばかりしている。夫人は不幸なおれの境遇をよく知っていたので、余計に孤児としてのおれを憐んでいたのかも知れない。」鶴見はそう思って、この夫人に特に感謝の念を致しているのである。
鶴見は明治二十年に府立の中学に入校した。中学の校舎は木挽町《こびきちょう》の歌舞伎座の前を通り過ぎて橋を渡ると直ぐ右角の地所を占めていた。かれが出養生をしていた塩湯とは堀割を隔てて筋向いになっている。
鶴見はもう幼年期を終って立派に少年時代に入る。独楽《こま》や凧《たこ》や竹馬《たけうま》や根《ね》っ木《き》やらは棄てられねばならない。鶴見はそのなかでも独楽は得意で、近所の町屋の子や貧民の子らと共に天下取りをやった。その外にめんこもやった。とんぼも追いかけ廻した。殊にとんぼには興味をもっていた。どうしてそんなに沢山いたかと思われるほど、とんぼが飛んでいた。種類も多かった。しおからやむぎわらは問題にならない。虎やんまもいたし、車やんまもいた。そしてそれを珍重がっていた。虎やんまは往来を低く飛んできて、たちまちのうちにもち竿《ざお》の陣を突破してしまう。虎やんまの出るのは主《おも》に日盛りの時分である。なかなか手におえぬところに次の機会が期待される。車やんまというのは虎やんまに似ていたが尾の先に車の半輪のような格好をした鰭《ひれ》がついている。特性としては、物干《ものほし》の柱に立て
前へ
次へ
全116ページ中78ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング