笑《きょうしょう》とをもって飾った時代である。有名なのは夜会の舞踏であった。昼間はバザアが催された。姉は相当な官吏の女であるというので、勧められて編物も少しは出品したが、要するに売子に雇い上げられたのである。それはそれで好い。鶴見も絹の袴《はかま》に紋附《もんつき》を着て、叔母に連れられて後から出掛けて行った。
そこでは休憩室で、珈琲《コーヒー》とカステイラを頂戴する。立派な椅子にも腰かけられる。バザアも覗《のぞ》く。姉も鶴見もいわゆる文明開化の誇示をまのあたりに見て、珍らしい経験を得て帰って来たことをおぼえている。忘れえぬ感銘の一つである。
明治十八年には官制の大変革があった。
父は許される限りの出世をして、文部書記官に昇進する。それは好いが、新官制によって定めたとおり、父も遽《にわか》に大礼服《たいれいふく》というものを誂《あつら》えて一着に及んだ。父には到底似合もせぬしろものである。御用商人の手で最上等に仕立てられた。肩や胸には金モオルがこてこてと光っている。それに外套《がいとう》の仰山《ぎょうさん》さには一同びっくりした。こんな物を引掛けては小さい人力車《じんりきしゃ》などには乗れそうもない。是非馬車が必要になるといって、皆あきれて、あとでは笑いこけた。それほど偉大な怪物であったのである。父もたった一度身につけたなりで、またと再び大礼服に手を通すことはなかった。
父は出世するだけ出世して罷《や》めさせられたのである。それを非職と称していた。その後は嘱託という名義で、仕事はこれまでと余り変らずに、主として地方への出張を続けていた。もちろんそれも四、五年の間であった。
姉は父の全盛を見て国へ帰って行ったのである。暫くの間であったが、風月《ふうげつ》の洋菓子などふんだんにあった。ボンボンといって一粒ごとにいろいろの銘酒を入れた球状の菓子もある。父はそんなものには目もくれず、カステイラなどはいつでも黴《かび》が生える。それでも手をつけさせなかった。家族のものは勿体《もったい》ないといったが、どうにもならない。
官制の改革は多数の犠牲者を出した。安穏《あんのん》に眠を貪《むさぼ》っていた官吏社会をはじめての恐慌が襲ったのである。維新当座どさくさまぎれに登用された武士階級中の老年者とか無能者とか、たいていそういう人々が淘汰《とうた》された。そういう人々の
前へ
次へ
全116ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング