ば》もいなくなった。二人までいた同居の人たちも立退《たちの》いた。別れた母の代りには姉と叔母とが立働いている。これも家庭の改革であった。

 新築祝いがあった。
 先ず客を招く準備として、襖絵《ふすまえ》の揮毫《きごう》に大場学僊《おおばがくせん》を煩《わずら》わした。学僊は当時の老大家である。毎朝|谷中《やなか》から老体を運んで来て描いてくれた。下座敷《したざしき》の襖六枚には蘆《あし》に雁《がん》を雄勁《ゆうけい》な筆で活写した。雁の姿態は一羽一羽変化の妙を極めているが、放胆な気魄《きはく》を以て、その複雑さを貫通している。二階には大きな波のうねりを見せ、波の上を鶴がのどかに舞っている。襖四枚である。これには淡彩を施してあったが気品があった。小襖には斜に出た菊の枝、通い口の三尺の襖には小松が景色を添えている。二階には宴会の席が設けられてある。十畳の間である。
 もとよりゴブランではないが、大層もない外国輸入の絨毯《じゅうたん》がその十畳の間に敷きつめてあった。田舎出の役人の家としてはちと出来すぎたようである。冷やかな観察者があれば、傍《はた》からそんな皮肉な口をきかぬでもなかったろう。父とすれば考えた上でのことでなく、新築祝の設備としてだけの意味しかなかったにちがいない。そんな新奇な装飾品が当時流行しかけていた。父の負けじ魂の性癖から、一時の物として、つい奮発することになったのだろう。果してこの異国の花卉《かき》を浮織にした絨毯はその後あまり役に立ったとは見えなかった。
 宴会の当日は、明治初年以来父が世話になった上官やら先輩やらの知名の人々を招待した。大抵は同藩の出身者である。酒席のとりなしには新橋の名うての妓を選んで、舞子《まいこ》も来ている。幾つも立てた燭台には真白な舶来の西洋蝋がともされる。その夜美形らが何を歌い何を踊ったか、それを鶴見は記憶していない。ただ綺麗に着飾った舞子に目をつけている。これも鶴見がそれを記憶しているのではなかった。端《はた》のものがそういって、あとから幾度も冷やかすのである。母がいなくなってから、観劇のことが止めになり、何か寂しく物足りなかったところへ、このあでやかな享楽世界を見せられた。子供心にも恍惚《こうこつ》たるものを感じていたにはちがいないからである。

 小学校へは姉と一しょに登校していた。姉は上級に編入されて試験にはい
前へ 次へ
全116ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング