文芸の畑の土壌に培《つちか》われた作品である。おおよその人が老年になって、往事を無邪気に顧みて、ただそれなりに皺《しわ》ばんだ口辺《こうへん》に微笑を湛《たた》え得るならば、それでも人生の静かな怡楽《いらく》が感ぜられもし、またその境地で満足してもいられよう。しかしそれは凡俗のことである。彼の作品は凡俗とは全く質を異にしていた。
 彼にあっては、その作品は幼時の溌剌《はつらつ》たる官能を老いてますます増強した炯眼《けいがん》に依憑《いひょう》させ、そこから推移発展させて、始めて収めえたる数十篇である。その一つ一つが珠玉を聯《つら》ねて編み成されている。多少作り事の嫌いがあると疑うものがあれば、それは短見であろう。試《ためし》にその珠玉の一つを取って透して見れば、人はその多彩に驚かされるにちがいない。あの複雑な巴里《パリ》が、適確な観察の光線の中で、首尾よく踊らされているのである。盛大があり、零落があり、恋愛があり、欺瞞があり、嬌笑がある。それらはいわば機智と冷刺との雰囲気の中で、動く塵埃《じんあい》でその塵埃が虹のような光彩を漲《みなぎ》らしているのである。幼年の作家は老熟した足どりで、いつもその中心を歩いている。これこそ正《まさ》しくアナトオル・フランスの作品である。

 鶴見の回想はそれに較べてあまりにも寂し過ぎる。第一に老年の畑が荒れていては、急にその発育を期待されない。多かるべきはずであった流星雨が降り足らなかったといっても好い。しかもそれが一刹那《いっせつな》閃《ひら》めくことがあっても次の瞬間にはすでに滅《き》えてしまっている。いわゆる前方を鎖《とざ》してわだかまるのは常闇《とこやみ》である。一刹那の光はむしろ永劫《えいごう》の暗黒を指示するが如くに見える。
 それでも鶴見にとっては、よしや回想の破片であろうとも、これを記念の緒《お》につないで置けば、まさかの時の念珠《ねんじゅ》の数え玉の用にも立とう。鶴見はそう思ってみて、それで好いのだと諦《あきら》めている。

 明治十六年、新築落成。これが一つの変動であった。旧家屋の構造様式が徳川末期の江戸風のもので、それがちょっとした旗本の隠居所とも思われるものであったとすれば、新築はどこか明治の役人向きの臭味《くさみ》に染ったものであった。広さはたいして違わぬが全体に殺風景なところが感ぜられる。趣味からいえば、
前へ 次へ
全116ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング