る。二葉亭氏はこの作を假りて第二の讖悔を試みたのではあるまいかと、わたくしは更に想像しても見たのである。この作中には隱れてゐる二葉亭氏の面影は、決して沈默の威壓感を起させるものではなくて、却て眉根に憂愁を帶びて自己の不安を語るものゝ如く思はれたからである。
 謎はどんな場合でも不氣味な匂ひのするものである。謎の人の書いた謎の作に一種不氣味な感を伴ふのは免かれ難い。「その面影」とても同じことである。この作は人生の陰慘なる哀愁を主調としてゐる。そこには何處まで行つても脱け切れない妄執がある。わたくしはもつと沈鬱痛切なものを望んでゐたが、それは期待するものゝ認識不足であつた。二葉亭氏の藝術的生涯は實はこゝで完成してゐたのである。これを二葉亭氏の飜譯に對する態度と比較すれば、氏は飜譯のをりには寧ろ全力を擧げてこれに臨んでゐたやうに思はれるふしがある。氏の志士的風懷はこの飜譯の筆に托せられてゐたのではなからうか。あの獨特な口語體の文章もこの飜譯によつていよいよ磨かれてゐたのではなからうか。わたくしはそれにつけても矛盾した性格を有つてゐた二葉亭氏の苦悶と運命の皮肉とを、今更の如くつくづくと考へてみるのである。
 二葉亭氏の功績の主要なるものは明治革新期に於ける新文體の創始である。よく撓んで、碎けてゐて、そしてしんみりとした特色のある文章のさゝやきは、絶えず深い意義をもたらしてくるやうにわたくしの耳の底に殘つてゐて、未だその魅力を失はない。二葉亭氏の實際の物の言ひぶりを聽いても矢張その通りであつた。氏はさういふ練熟した言葉で、死身になり果し眼になつて文學に從事することの出來ぬたちだと云つた。妙に眞劍になれない、それで困るのだと云つた。筆を執つて紙に臨むと、何時も弱身がさすと云つた。今まで文學が嫌ひだと廣言したのは自ら欺き世を欺く言ひぐさで、實はこの弱所があつたからだ。これがまことの讖悔だと云つた。わたくしは二葉亭氏の言葉の意味をこゝで強いて尋ねるものではない。わたくしは唯その言葉の調子に魅せられたと云へば足りるのである。碎けたうちにも確かな、不安なやうでしかも自信の強い調子であつたと云へば足りるのである。



底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
   1980(昭和55)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「飛雲抄」書物展望社
   1938(昭和
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