と想像しただけなのです。またさういふところから、小山内君の苦惱とあの革新的精神の反撥とがあつたのではなからうかと推想して見てゐるまでなのです。
わたくしは自由劇場も第三囘以後は見てもゐません。身體を惡くした上に、不便な郊外に移居しましたので、すつかり文壇から遠ざかつてゐます。小山内君ともこゝ數年間に亙り、親しく膝を交へて談じたこともありません。
小山内君は既に確かりした地歩を占めてゐることですし、これから更に大に成すところがあるのでせう。わたくしはついうかうか話をしてきましたが、考へてみれば、これは僭越であつたかも知れません。要するにとりとめのない話です。
附記
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この一文は談話筆記であらうと思はれるが、どういふ場合にこんな話を試みたか殆ど全く記憶がない。切拔によつたのであるが、雜誌名も判らず、年月も記載を怠つてゐたのではつきりしない。ただこの文のはじめに今より十五六年前とあることから推すと、この話をしたのはおよそ大正四五年の頃であつたのだらう。文章はすつかり手を入れてこゝに出すことにした。いくらか小山内君の若いをりの面影が傳へられるかと思つたからである。
小山内君には詩集一册がある。「小野のわかれ」である。明治三十八年九月刊行の原本はすでに珍本の部類に屬し、古書肆の目録にも絶えて出て來ない。その詩集中の一篇「月下白屋」は小山内君がその特色を殘すところなくあらはした傑作である。
この文のはじめに句を拔いて例證に擧げたちなみにより、そのシエレエの詩の謝豹譯「音樂」をこゝに附載しておく。これも切拔から轉寫する。
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わが靈(たま)は魔に醉ふ舟か、
夢を見る鵠(はくてう)の如。
爾(なれ)が歌たくみに唱(う)たふ
しろがねの波に浮べり。
風毎に調をなして、
見も知らぬ鈴振る際(きは)に、
なれはまた天使の如く、
舵に倚り舵を操る。
この舟よ、ときはに浮かめ。
この舟よ、かきはに浮かめ。
山、柯(こむら)、ま淵の間(かひ)を、
曲(うね)多き川瀬の面に。
そは人香まれなる樂園(みその)!
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底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
1980(昭和55)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「飛雲抄」書物展望社
1938(昭和13)年12月10日
入力:広橋はやみ
校正:川山隆
2007年8月14日作成
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