これがサハラの眞中であつたら、駱駝と共に骸骨となつてしまふ外はないと思ふ。ある「マスタバ」の墓中で、案内者のサラーが長々しく説明をやり、此の墓の壁畫には、何でも描いてないものはないと言ふので、私は『埃及では神に奉納する爲に手を出してゐる圖があるが、手を出して「バカシシユ」を貰つてゐる圖はないではないか』[#「』」は底本では欠落]と言つてやつたら、苦笑して引き下がつた。
 併しカイロの博物館は、世界に於ける一大「コレクシヨン」である。「シエク・ユル・ベレツド」や、ラホラブとノフエルト公夫妻の像の如きは、古帝國の彫刻の優品として、又美術史上古今に濶歩す可き作品であるが、かの評判のツタンカーメン王陵發見の金ピカの遺物に至つては、たゞ俗目を驚かすのみに過ぎず、美術上などから言つて格段の價値はない。此の博物館の次に私のカイロで感心したものは、囘教建築の美であつた。殊に其の住宅の中庭、木造の格子などの清楚なる工合は、西班牙のアルハムブラでも見られなかつた新しい「レヴエレーシヨン」である。

          五

 上埃及のルクゾールはナイル河畔にある水境であつて、寫眞などで見ると、其の岸に臨んでゐるルクゾールや、カルナツクの神祠などは、いかにも清々しい環境にあるかの如く想像せられるのであるが、其の實晝の間はやはり塵埃と見物客の雜沓に惱まされ、物乞ひの類に煩はされる場處に過ぎない。たゞ私共の逗つた「サボイ・ホテル」は、直にナイルの岸に臨み、其の朝夕の景色は忘るゝことの出來ない情趣を湛へて居る。テーベスの山に落ちる夕日は、足下に走るナイルの白帆の上に映じて、夜色漸く山河を鎖してからは、始めてルクゾールも昔ながらの靜寂に歸るのである。
 テーベスの王陵の谷に驢馬を驅れば、強い日光は禿山と砂地に反射して目がくらむばかり、ツタンカーメンの墓穴に入り、石棺の内にまざ/\と殘つてゐる遺骸を見、更に三四の陵墓の深い横穴に入つて、其の規模の宏大には驚いたが、デル・エル・パーリの神祠の、直下千尺の懸崖の下に立つてゐる姿には、實に天下無比の偉觀と感服した。併しテーベスの一亭で中食を取つた時の蠅には、遂に憤慨せざるを得なかつた。支那、希臘の蠅も到底これには及ばない。拂子を以て間斷なく之を拂つても中々飛び去らず、顏や手にとまつては皮を螫さずんば已まない勢である。私は同伴の倉田君に向つて思はず『これで
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