入る可き傾向はあるが、支那はさうではない。其の偉大なる過去の文化と、現代との間になほ連綿たる脈絡の存するものがあり、我々はなほ廢墟のうちに生命の呼吸を感ずることが出來るのである。西洋の旅客が我が日本に來つては、恐らくは此等「オリエント」の古圖とは違つた一種清快な情趣と、過去と中世と而して現代との間に、脈々たる連絡の存してゐることを感得するのであらう。而して或る意味に於いて絶東の一端に、再び歐洲の再現を見出すかも知れない。
 これは私が埃及から日本へ歸る船の上で、つく/″\と思ひ浮べた感想である。
[#地から2字上げ](文藝春秋七ノ八、昭和四、八)



底本:「青陵随筆」座右寶刊行會
   1947(昭和22)年11月20日発行
初出:「文藝春秋」
   1929(昭和4)年8月
※「バクシシユ」と「バカシシユ」の混在は底本の通りです。
入力:鈴木厚司
校正:門田裕志
2004年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング