あらう。此の形の相違に由つて、簡單に民族や文化階段などを分つ人もあるが、それは賛成しかねる。寧ろ各工人各工場などの癖に本づくのであらうと思はれる。エーブリー卿は北米其他の野蠻人の實例から、狩獵用には、※[#「竹/可」、38−6]と鏃とを一緒に拔き取り易い無髭形、戰爭用には拔取難い有髭形のものを用ゐると云つてゐるのは、多少理窟がある樣に見える。また石鏃は何處の國でも打製が多く、就中朝鮮には非常に精巧なものがある。私も先年慶州の川北面の丘陵上で、清野君や赤星青年などゝ一緒に、之を拾つたことがある。

          七

 石鏃の思出でも、いつの間にやら少し理窟に這入つて來さうであるから、これで止めることにしようが、とにかく四五十年も昔集めた矢の根石が、今日の私の石器時代研究に絲をひいてゐるのであるが、あの時の水晶も今なほ強い執着を殘して、近頃でも、朝鮮旅行中、慶州の南山では水晶採集に出かけ、金剛山では遂に大きな兩劍結晶のものを擔いで歸つたりしたことである。然るに數年前の正月清野君の家で、赤星青年と二人ジヤンケンを以て石鏃を分配し、私も二本ばかりを勝ち得たので、自分の家に歸つてから子供等に、ジヤンケンで頒けてやらうと云つても、一向欲しがらぬのには拍子拔けがしたと同時に、私の家に私同樣の考古癖者が居ないのに安心したことである。――私にも何か石器時代論を書けとの命令であるが、それは近頃あちこちへ書いたこともあるので、若い人々に讓つて、私はたゞわけもない此の石鏃の思出話を綴つて、御茶を濁すことにした。
[#地から3字上げ](ドルメン四ノ六、昭和一〇、六)



底本:「青陵随筆」座右寶刊行會
   1947(昭和22)年11月20日発行
初出:「ドルメン」
   1935(昭和10)年6月
入力:鈴木厚司
校正:門田裕志
2004年5月18日作成
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