する天然の温泉は羅馬人によつて利用せられ、そこに別莊の如きものが出來、氣持のよい小浴場が設けられたことは言ふに及ばぬことである。
 羅馬附近にはチヴオリへ行く道にバーニと稱する驛があり、今も臭い硫黄泉が出てゐることは、車中からも旅客が見る處である。こゝは古へはアクワアルブーレエと稱せられた處である。ナポリ附近フラグレイアの野は火山地帶であつて、此處に幾多の火山と温泉が連續して居ることは、地質學者も考古學者も將た觀光の風流人も先刻知り拔いてゐる處であるが、これは思ふに海水浴と共に、温泉によつて羅馬以來繁昌したもので、ポツオリからバイヤに至る沿道の海岸には、當代の別墅の遺址が累々として列つてゐる。就中「ネロ帝の浴場」と名づけられるものは、海に突出した丘陵に穿たれた洞窟で、中には非常に高温な湯の出る處がある。私は其の中に案内せられて息のつまる樣な苦しみを覺え、少女がバケツに汲み出す熱湯に驚いたことである。別府などなれば「何々地獄」とでも命名せらる可きものであらう。ポツオリの「セラペウム」には羅馬時代のコリント式の柱が立つて居り、其れに附著した貝殼によつて、嘗て十餘尺も深く海水中に沒され、中世此の邊が二十尺程も土地が低下し、其後十六世紀頃から隆起し、今日では再び沈下しつゝある面白い標本を見られることは、ライエル氏の唱道して以來有名なものである。

          三 英國バースの羅馬の温泉場

 天然の温泉に設けた羅馬の浴場としては、英國のバースが最も有名なものであらう。停車場附近の安宿に泊り、忙しく驅け廻つた私は、洋服を脱いで風呂に入ることの面倒さに煩はされて、たゞ其の遺跡を見物した丈けで遂に一浴をも試みなかつた。浴後浴衣がけで風情を呼ぶことが出來ない温泉場は、到底我々の興味を惹かない。
 バースの温泉は硫化カルシウム及びソヂウムを主とする鑛泉で、温度は華氏百二十度の高きに達するものがある。傳説によればブラダツド王が癩病になつて、此の温泉を發見して浴したのが紀元前八百六十三年であると言はれるが、羅馬以前に英人が此處に町を設けたことは未だ確證がない。羅馬征服後に至つて此地に小さい市街が發達し、「アクワ、スーリス」の名を以て呼ばれ、大きな浴場が造られ、神祠が立てられたことは、近年考古學的發掘の結果多くの遺物を發見して明かになつた。小さい博物館とポンプ室には、此等の發掘品が
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