窿~ケーネ發見の人面土器などを模樣に現はし、天井の壁畫には二三の天使が、發掘を助けてゐる處を描いてある。夫人は之を指して「あれは娘、これは息子」と、其の肖像を寫してあるのだと説明せられた。そして我々を別室に誘つて懇篤なる茶菓を饗せられ、クリート島から歸つて來たならば、再び訪問せよと契つて戸口まで送られたが、我々は遂に其の約を果すことが出來ず、希臘内地の旅行に上つてしまつたのであつた。

          三

 私は日本へ歸つてから『希臘紀行』の小著を世に公にしたが、その一部を夫人に贈呈することを忘れなかつた。すると夫人はやがて懇篤なる謝辭を以て答へられた。而かも手紙の最後にソフイヤ・シュリーマンと署して、其の下に不思議な文字を以て一行記されてゐるのは、楔状文字でもなく、又何處の文字とも一向分らず、私に久しく謎として殘つて居つたが、數年前之を或る人に示すと、其の人は横の方に坐つて居つたが、「是は日本の片假名ではないか」と云はれて見れば、如何にもそれに違ひなく、夫人は「ソフイヤ・シュリーマン」の片假名を横に書かれたのであつて、私は愚にも其の時まで氣がつかなかつたのである。誰か日本人が之を夫人に教へたのを、私にも見せて喜ばさうと苦心して寫されたのであつたのである。
 八十歳の高齡を以て逝かれた夫人は、夫君が始めて鋤を下して地下から掘り起こされたエーゲ文化が、今日の如く充分に復活せられるのを遺憾なく見られたのであつて、今や之をイリソス河畔の墳塋のうちに葬られてゐるシュリーマン博士の下に、之を報告せられることになつたのである。而して希臘國家に獻納せられた「イリオン」邸は、此の傳奇的生涯を送つたシュリーマンと其の夫人の記念として、永しへに世に傳はるに違ひなく、ミケーネにある『シュリーマン夫人發掘の墓』は『アトレウスの寶庫』と共にいつまでも訪客の記憶を新にするであらう。
[#地付き](ドルメン二ノ三 昭和八、三)



底本:「青陵随筆」座右寶刊行會
   1947(昭和22)年11月20日発行
初出:「ドルメン」
   1933(昭和8)年3月
※「ソフイヤ」「ソフィヤ」の混用は底本のままです。
入力:鈴木厚司
校正:門田裕志
2004年5月18日作成
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