usband's work and has come all the way from Japan to visit the remains of prehistoric Greece.  I wish I could be with him !………
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とある懇切なる紹介状を持つて、夫人に見ゆることを得た、大正四年五月十一日の午後を思ひ出さゞるを得ない。

          二

 私をして曾つて『希臘紀行』に記した處を、再び茲に繰返へすことを許して貰ひ度い。私はアゼンスへ著いた次の朝、直に書を載して夫人に面會の日を問合せた。如何に早くとも明朝ならでは返事は來ないだらうと思つたに、其の晩ハスラツク氏の招宴に招かれて、夜遲く宿に歸ると、其の留守中に夫人から使があつて、今夜九時の茶會に來よとのことであつたが、已に十時をも過ぎたれば詮術もなく、次の朝再び手紙して、昨夜の不都合を詫びると、今日の午後四時半在宅とのことで、同行の市河君と共に愈々大學町の十番地の「イリオン」邸に車を走らした。
 二階造りの宏壯な建築の前面には「アルケード」があり、朱色のポムペイ式の壁畫が街路からも目に立つて、これこそシュリーマン邸よと直ちに知られる位である。應接室に導かれて暫く待つて居ると、やがて衣褶れの音がして夫人の姿が現れた。あゝこれこそ豫てよりシュツクハルトの書物の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫で、トロイ發掘の黄金寶飾を身に附けて寫された寫眞の主ソフイヤ夫人ではないか。今は六十の坂をも越えられたれば、容顏は過ぎし日の美しさを殘しながらも、已に老境に入られてゐるのは致し方もない。鼠色の衣に稍々肥え太つた體をつゝみ、頭髮亦白きを交へてゐる。
 夫人は我々を奧まつた室へ導き長椅子に請じ、セイス先生のことから「さて何より話し始むべき、アゼンスは氣に入り給ひしか」と問はれ、やがて談はホメロスの詩のことなどに移つたが、暫くして其場に入つて來られた美しい長女アンドロマツヘ夫人を我等に紹介せられると、實にもソフイヤ夫人の若い頃を偲ばしめる姿貌である。
 夫人は「古物の類は皆な博物館に寄附して、今は家に殘れるものもなし、されど御見せ申す可きものこそあれ」とて、我等を大きな舞踏室に導かれると、床は悉く大理石の嵌石細工《モザイク》で、トロイ
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