事の判断も自分の中に畳みこみ
そのまま素直に眼を閉じた、

少女の思いのそのなかで
そのとき何がたしかめられよう
その懸命な頭の中で、どうして原子爆弾が計られよう
その手は未来にあこがれながら地に落ちた小鳥のように
手首をまげて地上にひろげられ
その膝は
こんなところにころがるのが、さも恥しいというように
きちんと合せてちぢめられ
おさげに編んだ髪だけが
アスファルトの上に乱れて、

もの心ついてから戦争の間で育ち
つつましくおさえられて来たのぞみの虹も焼けはて
生き、働いていることが殊さら人に気づかれぬほどの
やさしい存在が
地上いちばんむごたらしい方法で
いまここに 殺される、

[#ここから1字下げ]
〈ああそれは偶然ではない、天災ではない
世界最初の原子爆弾は正確無比な計画と
あくない野望の意志によって
日本列島の上、広島、長崎をえらんで投下され
のたうち消えた四十万きょうだいの一人として
君は死ぬる、〉
[#ここで字下げ終わり]

きみはそのとき思ったろうか
幼いころのどぶぞいのひまわりの花を
母さんの年に一度の半襟《はんえり》の香を
戦争がひどくなってからの妹のおねだりを
倉庫のかげで友達とつけては拭いた口紅を
はきたかった花模様のスカートを、
そして思いもしたろうか
此のなつかしい広島の、広場につづく道がやがてひろげられ
マッカーサー道路と名づけられ
並木の柳に外国兵に体を売る日本女のネッカチーフが
ひらひらからんで通るときがくるのを、
そしてまた思い嘆きもしたろうか
原子爆弾を落さずとも
戦争はどうせ終っただろうにと、

いいえどうしてそのように考えることが出来よう
生き残っている人々でさえ
まだまだ知らぬ意味がある、
原爆二号が長崎に落されたのは
ソヴェート軍が満州の国境を南にむけて
越えつつあった朝だったこと
数年あとで原爆三号が使われようとした時も
ねらわれたのはやはり
顔の黄色い人種の上だったということも、

  5

ああそれは偶然ではない、天災ではない
人類最初の原爆は
緻密《ちみつ》な計画とあくない野望の意志によって
東洋の列島、日本民族の上に
閃光一閃投下され
のたうち消えた四十万の犠牲者の一人として
君は殺された、

殺された君のからだを
抱き起そうとするものはない
焼けぬけたもんぺの羞恥を蔽《おお》ってやるものもない
そこについた苦悶のしるしを拭ってやるものは勿論ない
つつましい生活の中の闘いに
せい一ぱい努めながら
つねに気弱な微笑ばかりに生きて来て
次第にふくれる優しい思いを胸におさえた
いちばん恥じらいやすい年頃の君の
やわらかい尻が天日《てんじつ》にさらされ
ひからびた便のよごれを
ときおり通る屍体さがしの人影が
呆《ほう》けた表情で見てゆくだけ、

それは残酷
それは苦悩
それは悲痛
いいえそれより
この屈辱をどうしよう!
すでに君は羞恥《しゅうち》を感ずることもないが
見たものの眼に灼きついて時と共に鮮やかに
心に沁みる屈辱、
それはもう君をはなれて
日本人ぜんたいに刻みこまれた屈辱だ!

  6

われわれはこの屈辱に耐えねばならぬ、
いついつまでも耐えねばならぬ、
ジープに轢《ひ》かれた子供の上に吹雪がかかる夕べも耐え
外国製の鉄甲《てつかぶと》とピストルに
日本の青春の血潮が噴きあがる五月にも耐え
自由が鎖につながれ
この国が無期限にれい属の繩目をうける日にも耐え

しかし君よ、耐えきれなくなる日が来たらどうしよう
たとえ君が小鳥のようにひろげた手で
死のかなたからなだめようとしても
恥じらいやすいその胸でいかに優しくおさえようとしても
われわれの心に灼きついた君の屍体の屈辱が
地熱のように積み重なり
野望にみちたみにくい意志の威嚇《いかく》により
また戦争へ追いこまれようとする民衆の
その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が
平和をのぞむ民族の怒りとなって
爆発する日が来る。

その日こそ
君の体は恥なく蔽われ
この屈辱は国民の涙で洗われ
地上に溜った原爆の呪いは
はじめてうすれてゆくだろうに
ああその日
その日はいつか。
[#改ページ]

  希い――「原爆の図」によせて――

この異形《いぎょう》のまえに自分を立たせ
この酷烈のまえに自分の歩みを曝《さら》させよう

夏を追って迫る声は闇よりも深く
絵より絵へみちた涙はかわくことなく重く
まざまざと私はこの書中に見る
逃れていった親しい人々 死んでいった愛する人たちの顔を

むらがる裸像の無数の悶《もだ》えが
心にまといつくおののきのなかで
焔の向うによこたわったままじっと私を凝視するのは
たしかわたし自身の眼!

ああ 歪《ゆが》んだ脚をのべさせ
裸の腰を覆《おお》ってやり
にぎられた血指の一本々々を解きほぐそうとする
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