苦悶のしるしを拭ってやるものは勿論ない
つつましい生活の中の闘いに
せい一ぱい努めながら
つねに気弱な微笑ばかりに生きて来て
次第にふくれる優しい思いを胸におさえた
いちばん恥じらいやすい年頃の君の
やわらかい尻が天日《てんじつ》にさらされ
ひからびた便のよごれを
ときおり通る屍体さがしの人影が
呆《ほう》けた表情で見てゆくだけ、
それは残酷
それは苦悩
それは悲痛
いいえそれより
この屈辱をどうしよう!
すでに君は羞恥《しゅうち》を感ずることもないが
見たものの眼に灼きついて時と共に鮮やかに
心に沁みる屈辱、
それはもう君をはなれて
日本人ぜんたいに刻みこまれた屈辱だ!
6
われわれはこの屈辱に耐えねばならぬ、
いついつまでも耐えねばならぬ、
ジープに轢《ひ》かれた子供の上に吹雪がかかる夕べも耐え
外国製の鉄甲《てつかぶと》とピストルに
日本の青春の血潮が噴きあがる五月にも耐え
自由が鎖につながれ
この国が無期限にれい属の繩目をうける日にも耐え
しかし君よ、耐えきれなくなる日が来たらどうしよう
たとえ君が小鳥のようにひろげた手で
死のかなたからなだめようとしても
恥じらいやすいその胸でいかに優しくおさえようとしても
われわれの心に灼きついた君の屍体の屈辱が
地熱のように積み重なり
野望にみちたみにくい意志の威嚇《いかく》により
また戦争へ追いこまれようとする民衆の
その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が
平和をのぞむ民族の怒りとなって
爆発する日が来る。
その日こそ
君の体は恥なく蔽われ
この屈辱は国民の涙で洗われ
地上に溜った原爆の呪いは
はじめてうすれてゆくだろうに
ああその日
その日はいつか。
[#改ページ]
希い――「原爆の図」によせて――
この異形《いぎょう》のまえに自分を立たせ
この酷烈のまえに自分の歩みを曝《さら》させよう
夏を追って迫る声は闇よりも深く
絵より絵へみちた涙はかわくことなく重く
まざまざと私はこの書中に見る
逃れていった親しい人々 死んでいった愛する人たちの顔を
むらがる裸像の無数の悶《もだ》えが
心にまといつくおののきのなかで
焔の向うによこたわったままじっと私を凝視するのは
たしかわたし自身の眼!
ああ 歪《ゆが》んだ脚をのべさせ
裸の腰を覆《おお》ってやり
にぎられた血指の一本々々を解きほぐそうとする
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