時、私は自分の行為に対して自分の感情は非常に真実であったことは確かなのだ。真面目に自分を考えている。今度の勤めたいというのも、生きなければならないという無条件の標語を無理につくりだして、そのために就職することが必要になったわけだから私には私独特の云いわけがあるのだ。私は、父母に内緒で新聞広告を切抜き就職口を探して来た。履歴書をかいて、ある羅紗問屋に面会にゆき給仕になった。もう、父母は唖然としたまま私に何らの口出しをしなかった。大寒の最中であった。よれよれの紺の上衣を着、ほこりっぽいズボンをはいた私の青い皮膚はかさかさしており、目はどんより曇り、眉間や唇の端は、たびたび、ぴりぴりとけいれんし、あの子供の頃の英雄ぶりは、微塵もみられなかった。当時、十六歳である。

     第七章

「失業者が、毎日の食べるものも食べられないで、職業安定所の前にうろついているのをみたことがあるかね、ふん」
 これが私に与えられた店員の最初の言葉であった。勤続十年の太った女秘書が、私をかばってくれた。
「石岡さん、そんな考え方はいけないわよ。いいとこのお嬢さんでも、どしどし、社会へ出る経験しなくちゃ」
 有難い誤解であった。私は勇気のある社会見学の近代女性として、彼女の眼にうつったらしい。
 社長の実弟で低能に近い、「分家さん」と呼称するところの重役は、私をうっとしい[#「うっとしい」に傍点]娘だと云った。しかし私は、にっこり笑ってみせる術をすぐに覚え、彼から忽ち気に入られた。
 その日から私は忠実ぶりを発揮した。戦災にあって残った倉庫を改良し事務所にしているほこりっぽいところを、毎朝殆ど一人で掃除をした。この会社のおえらえ方は、みな丁稚上りであったから、細いことにいちいち気付いて、若いものはしかられ通しであった。私の仕事は、掃除と御茶汲みと新聞をとじたり郵便物を整理したりの雑用であり、おもに秘書の命令で働きまわった。
 指先が真っ赤になり、がさがさの手がじんじんする頃、他の女店員達は通勤する。そうして申訳に箒やはたきをもったり、花の水かえをやる。おひる近くになると、七輪に火をおこして、おべんとうを暖めたり、火鉢に火をつぎ足したりする。得意先や、日本一だという毛織物会社の人が来ると、――この会社の一手販売をしている卸売業なのである――上等の御茶を、上等の茶器を使って出す。お湯はたえずたぎ
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