いた。しかし、頭上に爆撃をうけているのだから報知する必要はないのである。それにすぐラジオは切れてしまった。主任教師は大きな木にかじりついてふるえていた。あの恐しく強がりな彼がまあ何と不恰好なと、もう一人の報道係と苦笑した。しかしその女の子も恐しいと云って壕へかけて行った。私は仕方なく、ガラスがふきとんで危いので、草原の庭へ出て、寐ころんで本をよみ出した。私には、空襲や爆撃は恐しくはなく、それより自分の罪に対する罰の方が恐しかったのである。私はたしか尾崎紅葉の小説をよんでいた。「二人女房」だったと思う。小説をよんでいる間私は夢中にその作品にとびこんでいた。私はかなり長い間であったろうか、それをひとりよんでいた。空襲はおさまり、時々、破裂音がお腹の皮をよじり、生徒の泣き声がしていた。私は、ふと傍に泥のついた軍靴を発見した。主任教師である。私の下から見上げた視線と、彼の黒ぶちの眼鏡越しに光る視線がぶちあたった。いきなり彼は私の本を足でけった。私はかっとして立ち上り、教師をにらみつけた。
「何たることだ、職務を忘れて小説をよんどるとは……」
私は本を拾おうとした。
「きいているのか」
続く怒号。ふと木の間よりみれば、生徒は整然と並んでこちらをみている。私は仕方なく詫びた。詫びることは簡単であった。教師は本を自ら拾い、その題字をみて更にぶるぶる怒った。
「こんな本をよんでいいと思うのか……」
その本は彼の手に固く持たれ、返してくれなかった。私は、自分の場所へ戻って、生徒の人数を数え、報告した。
工場も被害をうけた。鉄道も三本ともストップしてしまった。私は、四里の道のりを、線路づたいに歩いてかえった。
翌日から工場は仕事がなかった。電気がつかないし、仕事の原料がもう他の工場から送ってこないのであった。それに、毎日空襲で山へ避難せねばならなかったから、殊更、何をしに工場へ通うのやらわからなかった。毎日、通勤の生徒の数が減って行った。丁度、その頃、学校の建物の大半も焼けてしまっていた。私達は交替で焼跡整理に学校へ行った。赤くなった壁や釘のささった焼板や、ガラスの溶けたのをよりわけてその後を畠にした。極度の肉体的な労働は、もうその頃には、さほど苦にはならなかったが、働くことが無駄であるような気がした。何故なら、もうみんな死ぬ日が近づいているのにと考えたからだ。
六月の夜半
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