りがみえた。村の子供達が、手をふっている姿がだんだん大きくなって私を不思議そうにみる表情まではっきりわかって来た。私は肩に鞄をぶらさげて、ピチャピチャぬれている船着場にとび降りた。八十軒しかない村なので、姉達のところを子供にきくとすぐに私が下娘であることを知り、小声で、スミチャーンと呼んで私の荷物を持ち先立って案内してくれた。みんな姉の友達なのである。一人の十すぎの娘は、私の着ふるした洋服を仕立て直して着ていた。トシチャンが仕立ててくれたの。姉の名を親しげによんでいた。
父は私の突然の来訪を不審がり何かかんかと質問を発した。母は、私がきっと肉親の情愛を慕って来たのだろうと勝手な解釈をしてよろこんだ。乳母は一人旅の私を驚いた。姉と弟は私を唯いらっしゃいと迎えた。
私は自分の行動を反省してみた。私は責任ある自分の学校での位置をかんがえた。しかし、私は自分の感情に従うことをあたり前なのだと一時的な結論を下した。白米と魚のさしみを食べて私は旅の疲れにぐっすり眠り込んだ。
翌朝目をさました私はこれからどうしようとも思わず、姉と弟と村の子供と散歩をした。私の中に、もう仏教的な安心感もなく、恋を恋したあの戦死者への想いも失せていた。私は宙にういているような自分に叱責を与えることもしなかった。戦争だとか、必勝の信念だとか、そんなものも私の中に存在しなかった。
てんま船にのって向岸の海岸まで遊びに出た。姉は巧みに艫をこいで田舎の歌をうたった。私は姉や弟や父母に自分の静かでない心境が現れることをおそれ、ひたかくしにかくして頬笑んでいた。しかし、この島にいても私の気持は落つくことが出来なかった。肉親への虚偽の笑いは苦行であった。私は学校が五日間休みだからと云う理由にしていたのだが、三日目には帰ると云い出し、母と二人で神戸へ戻って来た。母はその翌々日に島へむかった。私は久しぶりで登校し、又もや主任教師に二時間たたされて説諭をたまわった。私は幹事をやめさせてくれと懇願した。然しそれはきき入れてもらえなかった。私はその日から、号令や伝達や作業にいそしまねばならなかった。粗食と疲労で肉体はげっそりしてしまい、その上、戦争のために、国家のためにという奉仕的な気持をすっかり失っていたことが余計体に影響し、私は作業中に度々卒中を起して休養室で寐なければならなかった。私の生命に対する強い愛着を、
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