とが起きた。家の向いにある教会の御葬式と、巡礼と、アリーが大人になったことであった。
 ある日、教会で女学院の先生の告別式があった。お天気が悪くぽつぽつ雨が降り出していたように思うが、とにかくアスファルト道の両側にずらりと列んだ紺色のセーラを着た大勢の女学生が、まるで歌をうたっているように大声でないているのである。ランドセルを背負った私は、門口にたってその光景を半分物珍しげに半分おどろきながらみていた。近親にも、知合いにもまだ死んだ人がその時の記憶になかったから、死がそんなにいたましいものだとは知らなかった。みているうちにわけがわからぬままに急にかなしくなって、もらい泣きをした。家の中へ飛び込むと、
「死んだらどうなるの、死んだらどうなるの」
 と女中達にききまわった。彼女達は、手をまげてゆらしながら、お化けになるんだと教えた。後で、母にきいた時、
「いい子は神様のところ。悪い子は、針の山や火の海を越えてゆくの」
 ときかされた。そして女中がお化けになると云ったんだと告げたら、母は女中達に叱っていた。私は針の山を歩く自分を想像した。火の海を泳ぐ自分を想像した。しかし、悪い子とはどんな子であり、いい子は誰であるというその限界がちっともわからないでいた。唯、その先生の死の事件は、私を少し又、悲劇的にさせた。
 巡礼が通ったのは、その事件直後であった。日蓮宗の坊さん達が、長い行列をつくって、太鼓をたたいたり鉦を鳴したりして通ってゆくのを、夕ぐれ裏口でみていた。一つかみの御米を鉢の中に入れると、私の顔をじっとみつめながら御経をよみ出した。私もやっぱり御坊さんの顔をみながら西行さんのように感じた。けれどすぐ坊さんは立去ってしまい、何かその行列の中に云い知れぬさみしさを感じたのだ。
 アリーが大人になったのは翌年の一月頃だった。とにかく、長い休暇があって――それが休暇か、病気欠席か、はっきりしないが――ひょっくり学校に顔を出した時、まっ先に目についたのがアリーであった。アリーは急に脊丈がのび、ジャンパースカートをはいている腰のあたりがふくよかであった。そうして、大腿まで出していた短いスカートがうんとのばされ、膝のあたりに妙に静かにゆれていた。私はその恰好にびっくりしてしまった。
「アリーちゃん、かわったねえ」
 私は慨嘆した。アリーは意味ある含み笑いをして、私の知らないことを細
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