の好きな乳母は、それを大層喜んだけれど、母はあまり嬉しそうではなかった。かむろ、藤娘、私は高い舞台ですぐに発表会に出演するようになった。
 一方、ピアノは姉の方が好きであった。これは又、なめるようにやさしい先生が、あまり練習をしないのにさっさと弾いてゆく私を、
「ボビチャマは、素質がおありになるわ、ねえママ様、ボビチャマの音はとってもきれいですこと。本当にのばしておあげするわ、わたくしも張合がございますわ」
 と又称讃した。この辺りから、私はひがみっ子ながら自信が出て来て、御稽古ごとで、大人の舌をまいてやろうと思うようになった。悲劇の捏造がしばらく停止したのはこの頃であろうか。おじけながらも、かえってそれが負けぬ気となり意地っぱりとなり傲慢さともなったのである。
 金ボタンのついた白いケープを着て、私は小学校の門をくぐった。私の父もこの学校を出身しており、私は、兄妹につらなって、歓迎されるように入学したのであった。しかし、かなしいことが一つあった。年寄った看護婦さんが、
「お嬢さんは母乳ですか牛乳ですか」
 と母に尋ねたらしい。とにかく、
「殆ど、牛乳でございますの」と母が云ったように覚えている。これが、ふたたび私のままっ子だということを裏付けしたように、そのとき、ひどく悲しく思ったことが、はっきり胸に残っている。そして、金ボタンをくるくるまわして、みっともないと叱られたこともその時だったらしい。
 私は家庭に対して愛着がなかったから、小学校へゆくことがさして苦にもならなかった。大人達には親しめなかったけれど、同じ年輩の子供達にはすぐ仲良くなり、餓鬼大将ぎみであった。よみ方の読本は、はじめっから最後の頁まで、すらすらよむことが出来たし、簡単な数字のタシヒキは兄や姉の傍らで自然に覚えてしまっていたから、ちっとも勉強しないでも、いいお点を取ることが出来た。
 人がわからないことが、自分にはわかる。これは幼い心に植えつけられた優越の喜びであった。けれども、私を押さえつける不愉快なものが一つあった。それは秩序ということであった。

     第二章

 二列に並んで、ハイ御挨拶。マワレ右。何度も何度もくりかえされる。私は背がひくかったので、前の方に並んでいた。朝、校庭で行われる朝会の時から、ランドセルを背負って校門を出る時間まで、今までの生活と違った窮屈さである。両手をあげ
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