。然し絶対的な権利は父にあった。焼けのこった倉庫にある品物はこっそり持出された。決して売ったのだとは云わない。運ばれて行ったのだ、と父は云う。そうこうするうちに、住んでいる家も売る状態になり、同じ市中の親類と同居するようになった。
「どうも戦後移った家は不便でしてね、それに同居の方が何かと都合いいし、ここは又、街へ出るにも歩いてゆけて……」
 父の人への挨拶はきいていて苦笑せざるを得なかった。
 売るものはつきた。もうこれも売ってしまったのだから。品数が減ってゆく度に、そう云いながら、三度の食事はあたり前にとれる状態を保持することは出来ていた。
 戦時中と戦争後の数カ月を共にした父の妹の家族と、それに祖母をまじえた生活がはじまった。私の精神と同じように、終止符をうってしまった家族の生活であった。
 もう一カ月後はわからない。本当にどうなっているかわからない。目の前の庭の部分も人手にわたっていたし、唯一の家宝であった掛軸も御出馬なさった。しかし、各自に各自の焦燥を抱いている筈であるのに、それは行動には現われないで表面は至極静かになっていた。父と子供達の意見のはき合いは駄弁にすぎないことに気付いたからである。

 こうした日常。こうした自己。二つとも未来はなかった。自分がどうなるであろうか、それを考えることは強いてしなかった。
 時代はどんどんかわってゆく。然し、私は停滞した感情と思考と日常をおくっている。これは私の懶惰であろうか。

     エピローグ

 気取ったポーズはしばらく動かないでいたのだが、そのポーズがいくら楽な姿勢であったとしてもいつのまにか又、そこに疲れと窮屈さを見出してしまうものだ。梅雨あけの日光のようにふたたび私は動き出していた。ぎらぎらひかる。早いテンポでまわり出す。二十歳まで。それから二十歳まで私は高くすっきり舞い上ったり、醜悪な寝ころびざまや、急カーヴに堕落したり、又はい上ったりをくりかえした。しかし私はそれを克明に記憶していない。いや記憶していたところで私の現在に近くなればなるほど逆にその私が逃げ出して行く気配をみせる。私はあわててそいつをつかまえようとして力一ぱい手をのばしてふれるのだが、それはくらげのようにつるりと私の手からぬけ出てしまう。
 私の試みは失敗に終った。発作的に起った私のふりむきざまは後少しというところで今の私にぴったり
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