分のライターを私の顔に近づけてくれた。夕飯にはまだ少しはやかったので、御客は他に誰もいなかった。バラック立の安ぶしんの天井から、白い障子ばりの電燈の笠が目立ってうつくしかった。とっくりと、小さな鉢とお箸がまもなく運ばれた。先刻の女中が、彼と私とにお酒をついだ。
「おいふみ。これに云うなよ」
彼は親指をみせた。社長のことだと感知した。
「おまえも黙っとれ」
私にむかって上目使いに命令した。私は私と彼が差向いで御酒をのんでいる様子がとてつもなくおかしいものに思われてにやにやしていた。彼は多くは喋らなかった。私も黙って後から運ばれて来たおすしを食べた。ほんのり酔いを感じた。
「分家さん、何で御馳走してくれはんの」
私は、わざと大阪弁を使って問うた。
「ふふん」
彼は満足げに笑っていた。彼のとろんとした目がだんだん鋭くすわって来た。外がうすぐらくなり電気が点いた。
「おおきにごちそうさん。私、かえらしてもらいます」
私は両手をついて会釈した。
「かえらさへんぞ」
彼は私をきっと睨めつけた。そうしていきなり私の手を机の上でひっぱった。おちょくとお箸がころがった。
それから、あの青や黄や赤のごてごてにぬられた表紙絵の大衆雑誌の小説と同じような情景が私の傍で、しかも私もふくみこんで行われようとした。私は抵抗した。朱塗の机はがたがたと隅の方へ押しやられていた。
「分家さん、はなして、はなしてよ」
私は小声でそう云った。木綿の洋服の脇のスナップが音をたててはずれた。
「いやらしいひと、やめて」
私は精一ぱいの力を出して彼の腕をつかみ彼の上体を押しのけた。そんなことが二三度くりかえされた。急に彼はおじけたように部屋の隅にあおむけにころがった。
「ふん、大岡とやりおったくせに、ちゃんと知っとるぞ」
私はいきなりむらむらと怒りがこみあげた。
「分家さん、冗談にもそんなこと、いやな」
気弱になった彼に私はがみがみと云った。
「ふん」
彼は例の口許から例の発音をした。
「分家さん、さ、かえりましょう。みっともない。まだうすあかるいしするのに。それに、ええ奥さんがおってやないの」
私は、彼を精神的変質者であろうと、もともと思っていた。私は彼の手をひっぱって起した。彼は私のするままにしていた。私は、ワイシャツの釦をかけ、ネクタイを結びなおしてあげた。彼の奥さんは気性の勝っ
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