に眠ったふりをしていました。そして、大阪のとある喫茶店から、鉄路のほとりの行ってそうなところへ電話をしました。不在でした。私は、青白き大佐にわかれて、もう一つの場所、鉄路のほとりが行ってそうなところへゆきました。そこにも居ませんでした。そこは、緑の島がいるところです。私は彼に会ってみようかと思いました。その心の動きは、私自身説明出来ぬものです。わりきれぬものです。然し、緑の島は居りませんでした。私は、いつもの喫茶店へゆき、もう一軒、鉄路のほとりの居そうなところへ電話をしました。居ました。彼の声はひどく冷淡なものでした。待っているように云われました。じきに来るような様子でした。ところが、一時間半、いや二時間も待ったでしようか。彼はきません。私はおちつきませんでした。私の好きな、フランチェスカッテーのヴァイオリンを耳にしながら、パーガニーニとサンサーンス。心はざわめいておりました。やっと、彼は五時頃やって来ました。ひどくむっつりしてました。客が混んでましたから、二人はすぐに出て、歩きはじめました。二十四日のことを云いますと、彼は、電話なんかしなかったんだと云いました。唯、神戸へ行きたくて行ったんだ。そしてのみ歩いたんだと云ってました。彼は、忘年会の約束があるなどぶっきら棒に云いました。別の喫茶店へはいり、少し話をはじめましたが、私の云うことにいちいち嫌味や皮肉を云うのです。私はおこっているのか、と問いました。何もおこってやしない。そしてすこぶる不機嫌なんです。私はその原因が、仕事の疲れだろうと思いこもうとしたのです。何かのことで、私の女友達の話が出ました。彼は、彼女にたよりしたんだと云いました。私ははっとしたんです。私には長い間、手紙をくれない。書く暇があるなら、どうして私へ手紙をくれないんだろう。その女友達への彼の手紙の内容が、どんなものであるにしろ、簡単なものであったにしろ、書いたということが、私の心を動揺させました。でも私は黙って居りました。彼は暫くして、忘年会へ出席するのがおくれると誰かに電話をしていました。私は、今迄の心の動揺を忘れて、彼に感謝しました。そして、駅の近くへのみに行ったのです。小母様。私はその時からのことを克明に記憶してます。でも克明に書くだけの心のゆとりをもっちゃいません。あまりにもその出来事は、今から近いところにあるんだし。でも、出来るだけ忠実にかきましょう。彼は、笑顔もみせないでのみ、私に話しかけるよりも、店の女に喋っていました。私は、でも一しょにいるということで嬉しいでした。そのことだけでもよかったのです。ところが随分のみ出した彼は、私にむかって、又嫌味のようなことを云い出しました。
「俺が神戸で会った女の中で、お前は一番げのげのげだ」
その意味がききとれず、もう一度たしかめました。質の悪い女だそうです。そして、男の自虐は魅力だけど、女の自虐はみにくいと云いました。私は殆ど黙ってきいていました。彼は又、男にかしずかれて喜んでいる女性だとも私にむかって云うのです。それはおよそけんとうはずれな彼の解釈でした。小母様、私はそんな女かしら。まだかしずかれたことはないんだけど。私はかしずかれようとさえ、思わない。私はいつも愛されるより愛す立場の女ですし、ほんとにどうして、彼がそんなことを云うのか、私わからない。でも私黙ってました。二十二日にくらべて。
ここで、午後十二時半、今月は、家で忘年会。まっ先に、作曲家の友人が来て、原稿は中絶。
今が午後十一時。
大勢来て、のんだ、くった、うたった。
小母様、又、前後しますが、今日、三十日の午後十時は、私、とても痛ましい十時だったのです。そのことは又、だからと云って、これを書きつづけるのに、気持が変ったということはありません。十時以後もペンを持てば、前と同じです。さあつづけましょう。
……二十二日にくらべて、何ということでしょう。鉄路のほとりは、すっかり変った態度なのです。私達は、のみ屋を出て、あるコーヒー店にはいりました。相変らずの調子で、私につっかかるのです。私は単純だからむずかしいことを云われたってわからないんだと云いました。彼は鼻先で笑います。そして、黙って私の顔をみてました。何考えているの、と私問うたのです。彼は、何をかんがえているか、当ててみろといいます。私、わからないってこたえました。
――まんざらでもない顔してやがる――
彼は、私の顔みて、そう云ったのです。まんざらでもないって、どんなこと、私ききました。すると、彼は単純にとらないと云って又おこるのです。私は、とにかく、お酒のせいで荒れているのだと思うようにつとめました。其処を出て、ふらふら歩きはじめました。彼は十三まで自動車でおくるといいました。
――今日は帰らせたくないんだ――
そう云った後に。
十三近くまで、私達は抱擁しあっておりました。しかし、二十二日とちがって、彼はとても冷淡で、邪慳でした。私はこのまま帰るのはどうしても嫌だと申しました。そして、又、車を降りてから歩き出したのです。一言云えば、何かつっかかられるので、私は黙っていました。何かのはずみで、私がどんな時でもあなたのことを考えていると云ったら、嘘をつけ、と高飛車に云われました。実際、私は一人で居る時も、大勢いる時も、彼のことを考えつづけてましたもの、それは本当なんです。彼は又、私の小説のことにこだわって、本当のことがどうして書けないのだ、など云います。踏切番のいない踏切をよこぎる時、私、このまま轢かれてしまいたいと思った位です。彼は、わけのわからぬことを云いつづけました。十三の駅近くへ戻り、私はやっぱりこんな状態で別れたくはないと云いました。そして、とあるのみ屋へ又はいったのです。小母様。そこで又、ある事件が起ったのです。
一人の若い男が非常にのんで居りました。スタンド式にたっているところです。さて、私と彼は、相変らずいがみあった感情のまま椅子にこしかけました。と、その男が、何かかんか云ってくるのです。最初はとても朗かに、話題を提供しはじめたので、私は別に不快じゃなかったのですが、私の肩に手をかけたりしはじめたのです。そうです。私は、その男の隣りに、だから、彼と男の真中にいたのです。私は、見知らぬ人に、体にふれられるの、とても嫌なんです。見知らぬ人でなくともそうなんです。だから、カーッとなりました。男は若輩の巡査かよた者のようでした。巡査であろうと思います。指に繃帯をして居りました。何かかんか云い出して来て、俺はこんな者だと披露し、私と彼の名前をきくのです。彼は、とても機嫌よくその男の話相手になりました。ところが私にとっては、その行為はさみしいことなんです。そのうち、又もや、男は私に肩組して来ました。そして、あなたは誰だというのです。その前に、彼にも誰だときき、彼は、本名と住所をかいて、彼に渡していました。私は、感情的に、皮膚的に男を嫌がっていました。ふと思いついたのです。私のハンドバッグの下に、封筒があったのを。その日、民芸品の店屋から、原稿を頼まれていて、二枚ばかり書いた後一二枚の白い原稿用紙が、その封筒にはいって手許にあったのです。私は、その封筒(じょうぶくろっての)を、裏がえして男の前につき出したのです。
兵庫県警察局長、とかいたはんが押してあったのです。男の血相がかわりました。その封筒は、あゆみという雑誌がはいって、毎月、私の家へおくられて来るものです。丈夫で便利なので、私はそれをよく原稿いれに利用していました。
さあそれからが大変、その男は狼狽し、みる間に卑屈になりました。私は男の態度を、最初冷淡にみていましたが、あまり気の毒なので、それに、うるさいので、ごめんなさいと云いました。警察局長と、どんな関係か、私は説明させられたり、とにかく大騒ぎになったのです。彼は男を大へんいたわっていました。一時間以上も、男はうろたえつづけました。私はうるさくなって、彼に出ようと云い、遂に、席をたちました。でも、柔い顔をみせていました。男は、隣りの果物屋で果物をかい、私にもたせました。私はとても不愉快でたまりませんでした。さて、彼と二人になった時、私はいきなり彼から叱責をうけたのです。残酷なことをしたもんだと。そして、彼にはおふくろもいるだろうし、生活も苦しいんだろうと。私は黙っていました。それより、私は自分のした行為やその事件よりも、彼とのことの方がはるか重大だったのです。自動車にのって、大阪まで結局もどることになったのですが、その車中で、こんな気持のまま帰れないと私は云いました。彼は帰れとか、帰るなとか、随分の酒量でしたから、何かかんかその時その時の言葉をはきつづけました。自動車を降りてからも、私達はまるでいさかいをしているようだったのです。私が、家へ今夜かえらぬの電報を打つと云いますと、電報なんて打たないで、帰らないで居れと云うのです。そして、私が黙ってますと、俺があと責任もってやればいいんだろ、と云いました。私は、責任とかいうものを、お互に意識することをとてもいやに思っておりました。恋愛に、義務や責任などないんですもの。小母様。私自身、事務的な対人関係や仕事のことでは、とても、責任感が強いのです。でも恋愛で責任のとり合いなんか、私はしたことがない。責任だと感じるなど、それは恋愛だと思いません。私達はホテルのあるあたりを随分うろうろ云い合いをつづけたまま歩きました。結局、私に帰ることを彼はすすめました。私もうなずきました。駅に出て、私は切符を買いました。それから又、喫茶店へゆきました。彼は、ひどくよっぱらっています。そして、巡査との事件を持出しました。私はそんなことどころじゃなかったのです。冷酷なんだ。彼は私に云いました。ええそうよ。私自分自身、嫌な思いを我慢するのは出来ない、ってこたえました。私は実際、男に同情など持っていませんでした。今考えてもそうなんです。卑屈なのはとてもきらい。彼は、とても巡査に同情していました。そして世の中ってあんなものだ。俺達の世界でも、そうなのだと云うのです。ああ私は、卑屈に生きることを認めていることに対して、少し憤りました。でも黙っていたのです。彼は、話をかえて帰りたくないなど、度々云うものじゃない。云うな、と怒号しました。喫茶店は満員です。大勢の人がこちらをみていました。でも私は別に彼の態度に干渉しませんでした。とにかく、やたらになさけなかったのです。くしゃんとなっていたのです。だからもう云いませんと申しました。彼は、私をひっぱるようにして、私の乗場のところ迄、ひきつれました。そして、改札口へ私がはいる時、又大きな声で云いました。
「今、俺とキスしよう。ようしないだろう」
そして、せせら笑いを残して帰ってゆきました。私は、その時ふと緑の島のことを思い浮べてしまいました。緑の島も、よくお酒をのむ人でした。よく二人でのみました。しかし、いつも笑って握手をしてさよならしたものでした、勿論、私がすねてお説教をくらったこともあります。私がいらいらして、怒ったこともあります。でも別れる時は、笑顔だったのです。私は、自分が緑の島を思い出したことに対して、ひどく又自分をいじめました。重い気持で電車にのったのです。
もう、鉄路のほとりとは、まったくつながりがたたれたように思えました。でも、私はやはり彼を愛しているのです。その日帰宅してからも、電話がかからないかと待っておりました。そして、机にむかい、彼に速達をしたためました。
あなたの愛情が感じられなくなったと。
もうおしまいのようだと。そして、お返ししたいものがあるし、さし上げたいものがあるから、三十日午後十時迄に、連絡して下さい。三十一日は、一日あいているようにきいてましたからと。何時でも何処でもいいと。五分間でいいのだと。
小母様、私はどうにもならなくなって、又生きる元気を失ってしまったのです。幸せになれると思ったのは束の間でした。二十二日から二十五日迄でした。私は、鉄路のほとりを愛しています。でも、それが真実
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