いえと云いました。そう、じゃおやすみ、彼はそう云いました。私もおやすみなさい、と云って、いやまだ何か二言三言しゃべったようですが、受話器をおろしたのです。私はもうすっかり心に決めておりました。二十二日に黒部へゆくことに。何故二十二日になんかしたかと云えば、仕事の残りの始末をしてしまいたかったのです。切符代の集金やら、それに芝居の批評会にも出なきゃならなかったので。
 小母さま。その翌日に、私の心をますますかためたことがあるのです。作曲家の小さな坊やをつれて、公園行きを、前々から約束していたので、作曲家の彼に、大阪からの終電車の中で翌朝、坊やと約束をはたそうと云ったのです。
 小母様、この日のことは、一度、眠ってからあしたかきましょう。何故って、腕がだるくなっちまったの。今日は、朝のうち、随分ピアノ練習したし、それに、煙草が残り少ないの、今晩中に書きあげることは、出来かねるので、――煙草なければ駄目なの――さむくなりました。じゃあ一まず、お休みなさい。小母さま。

 五時間も眠ったかしら。朝、家の中でがたがた大きな音をたてるので目ざめてしまうのです。古い家屋なのでとてもひびくのよ。私は寐床の中で夢を思い出していました。レコードの針を一ぱい打ちつけたもの――そのものが何だったか忘れたけれど、それに布をかぶせておいて、暫くしてから布をとりはずし、唇を寄せて、すうっと空気をすうのです。そうすれば子供が生れる。そんなことを、S新聞社のN女史が一所懸命に私に教えてくれている夢でした。
 おかしな夢だ、など苦笑しながら、うつらうつらしてました。と、電話の鈴。私は、鉄路のほとりだろうと思いました。ところが、それは九時すぎ、会社へ行った兄からだったのです。
 ここまで書いて玄関に呼声。出てゆきました。若しや、鉄路のほとりからの速達ではないかと。ちがいました。彼からは何にも。
 今、正午のサイレンが鳴りました。昨夜っから、十時間ちかく書いているのじゃないかしら。
 さて、いよいよ、公園でのことに戻ります。小母さん。辛抱してよんで下さいとは申しません。つまらなくなれば、とばしよみでも結構、途中でやめちまって下さってもいいの。唯、私があなたあてに書こうと思ったものですから。
 さて、公園へ作曲家のぼうやを連れてゆくのに同行したのが、青白き大佐です。私は、彼に会うことをひどくいやがる気持でも
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