しくなるわね」
「あらいやだ。ママさんは、御若いのだと、御自分で思ってらっしゃる筈よ」
それは、鋭い南原杉子の言である。
「どうして、あなたよりずっと年寄りよ」
「年齢で若さは決められないわよ」
「じゃあ何」
「だって、人間の精神があるものね。五十でも六十でも若い人居てよ。精神的な若さに、肉体が伴わない場合、しばしば女の悲劇が起るのよ。ママさんはとにかく御若い筈よ」
仁科たか子は、肉体という言葉を平気で口にする女性にびっくりした。
「若くみられて幸せじゃないか」
蓬莱建介が言葉をはさむ。
「本当はおばあさんなのにね」
蓬莱和子は、ひどく夫建介と、南原杉子から軽蔑をうけたような気がした。
仁科六郎は飲んでばかりいた。喋ることがとても出来ないのであった。阿難がまぶしい存在に思われた。何か、遠いところにある女性のように思われた。そして傍にやさしくうつむき加減でいる妻たか子の方が、安心して接近出来る人に感じた。
「南原さんは御結婚なさいませんの」
仁科たか子は、こんなことを云ってわるいのかしらと思ったが、酔い心地で、南原杉子に恍惚としながら、おずおず云ってしまった。
「お杉は、結婚なんか馬鹿らしくって出来ないと思ってるのよ」
蓬莱和子は、まともに南原杉子を凝視しながら云った。
「いいえ、そうじゃありませんの、たか子さん、わけがあるのよ」
仁科六郎は頬を硬ばらせた。
「南原女史だって、結婚したいと思っているさ、だが彼女はまだ気にいった人がないと云うわけさ」
蓬莱建介は、ねえ、そうだね、という表情で南原杉子をみた。蓬莱和子は、又真珠の玉をにぎった。
「あなたは、いちいち私の云うことに反対なさるようね」
蓬莱和子は、少し冷淡に、夫建介をみた。
「あら、私、あなたの解釈とも、御主人の解釈ともちがったことで結婚しないのですわ、老嬢秘話をあかしましょうか」
仁科六郎はうつむいた。
「私、勿論、結婚してらっしゃる方をみて、羨しい限りなんですよ。でも、結婚しませんと誓ったことがあるんです。昔のことですけど、純情少女の頃、純情な少女がある男の死に捧げた誓いなんですよ」
――その少女は阿難なのだ。その男は、仁科六郎なのだ。そして、それは過去ではない。現在なのだ――
「おどろいたわね、お杉は子供なのね」
「そうよ、みえない世界で結婚していて、ひめやかに貞操を守りつづけているわけよ」
蓬莱建介は、南原杉子のつくりごとであると見抜いた。仁科六郎は、みえない世界を、自分達のものだと信じた。ふと、南原杉子と視線があった時に、疲女はうなずいたのだ。
「まあ、お気の毒ね、ごめんなさい、私、いやな思いをおさせしたみたいだわ」
仁科たか子は心から云った。
「いいえ、私、幸せよ」
南原杉子は笑った。然し、阿難が泣きはじめた。
「お杉は案外ね」
蓬莱和子は、わけがわからなかった。然しそれを口にだして疑問の言葉にすることは出来なかった。仁科たか子が居る。
「さあ、とにかく、もっとのまなけりゃ」
蓬莱建介が云った。南原杉子は、元気よくグラスをつき出した。
――南原杉子。私と、蓬莱建介と蓬莱和子の三角の線。私と仁科六郎と蓬莱和子の三角の線。私と、仁科六郎と蓬莱建介の三角の線。私は、重なりあった三つの三角の線を断ち切って。仁科六郎と阿難の線だけを存続させようとしたのだわ。だけど、あらたに、三角の線が出来てしまった。仁科たか子があらわれたのだから――
――阿難は絶望――
――いいえ、仁科六郎の愛を信じなさい――
仁科夫妻はむつまじかった。それだけで、仁科六郎と阿難の世界はぐらつきはしないのだが、阿難の脳裡に、色の白い細おもての仁科たか子が明確に残るものに違いないのだと、南原杉子は考えた。
「お杉って人は、仲々自分のことを云わないのね。ねえあなた。今日は、お杉の告白の一部分をきいたわけだけど、もっと何かありそうよ。お杉の性格は疑いぶかいのね。私なんか信用されてないみたいね」
蓬莱和子は、夫建介と南原杉子を交互にみる。
「じゃあ、何でもべらべら喋ったら、それが信用している証拠になりますの」
南原杉子は、にこやかに云う。
「まあまあ何でもいいさ」と蓬莱建介。
「いいことないわよ。私は、お杉がすきだから、お杉のために一肌ぬごうっていう気なんですもの」
「僕のために一肌ぬいでくれたらどうだい」
蓬莱建介は、冗談まじりに蓬莱和子の肩をたたく。
「南原さん、御かわいそうよ。昔のこと思い出されて」
その時、南原杉子に同情の言葉をよせたのは、仁科たか子である。南原杉子は黙ってうなずかねばならなかった。
――何ということだろう。仁科たか子に同情されたのだ。阿難がここで、仁科六郎を愛してますと云って、仁科たか子から嘲笑か、にくしみなうけた方が同情されるより
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