た。香水のにおいがよく悲劇をもたらせてしまうことを彼女はフランスの小説で知っていたからである。
――阿難、今日は阿難、じっとしていてね。その代り、南原杉子の肉体は、もうほんとにすっかり阿難のものとなっているのよ。今日、無言のうちに蓬莱建介と別離の挨拶をするわね。彼の女類の中に加えられても私は侮辱されたと思わないわ。その方が気楽よ――
――阿難は今日本当にかなしくってよ。でも、じっとがまんをしているわね。仁科六郎のためによ――
――阿難、かわいそうに――
彼女はぽろりと涙を落した。自動車は、繁華街にちかづいた。
十二
カレワラに、最初にあらわれた客は、仁科たか子であった。
「まあ、いらして下さったのね、ありがとう。嬉しいわ。さあおかけになって、あら、いい御召物ね。えんじ色、よく御似合いだわ」
仁科たか子は狼狽した。
「主人はまだでしょうか」
「あら、もうすぐいらしてよ。さあさ」
その時、蓬莱建介と仁科六郎が、連れだってはいって来た。男同志の友情とはよいものである。道で、仁科六郎に出会った蓬莱建介は、歩きながら今日の期待のことを話したのだ。
「女房の奴、君の妻君も招待したんだぜ」
仁科六郎は一瞬たじろいた。
「まったく、いつまでたっても子供じみた女房だよ」
仁科六郎は蓬莱建介に心の中で感謝した。彼は、無事に終るようにねがった。
――阿難がかわいそうだ。僕はたか子にやさしくしなければならないのだから――
「まあ、大いにのもう。女房の御馳走は有難いもんだ」
蓬莱建介は、仁科六郎の気持をよく推察出来た。彼は、世間ずれしている。そして、臆病者である。事件をこのまない。だから、仁科六郎に親切したわけなのだ。
仁科六郎は、にこやかに妻たか子をみた。彼は、阿難がまだ来ていないことにほっとした。
「いたずらするんですね。蓬莱女史は、一しょに招待すればいいものを」
仁科六郎はたか子の横にこしかけた。蓬莱和子は、夫が喋ったことをすぐ感付いていた。
「びっくりさせようと思ってたくらんだのよ。ごめんなさい」
蓬莱建介は、ばらの花の枝にしばりつけてあるネーム・カードをみながら大きな声で云った。
「僕をふった女性はまだ来ないかね」
「お杉、来る筈よ。わざとおくれて来るんでしょう」
蓬莱和子は、ビールの栓をぬきながらこたえた。
「お杉ってどなたですの」
仁科たか子は夫に小声でささやいた。
「あら、御存知なかったわね。南原杉子さんって、とてもきれいないい方よ。あなた、屹度好きになれるわ」
たか子の質問を耳にはさんだ蓬莱和子は、愉快そうにこたえた。
「放送の仕事している人だ」
仁科六郎は、たか子に云った。
――夫がまるで関心のない人なんだわ、そして、蓬莱和子にだって、夫は別にとりたてて好意をもってないわ。美人だけど、もう年輩の方だし、御夫婦は仲よさそうだもの――
たか子は、夫六郎の方に笑顔をおくった。
四人はビールの乾杯をした。
「ねえ、あなた、こんなおまねき本当にうれしいですわ」
「じゃあ、これから度々しましょうね、今度はうちの方へ御まねきするわ」
蓬莱和子はふたたび口をはさんだ。
「南原女史、何してるんだ。シャンパンがぬけないじゃないか」
蓬莱建介はわざと又大声で云った。然し、彼は、南原杉子が来ない方がいいように思っていた。
――彼女のことだから、二組の夫婦の前にあらわれても平気だろう。僕と最初の出会いからして芝居げたっぷりなんだから。でも、四人だけでも仲々厄介な関係になっているのだから、そこへ又、もっと厄介な関係の彼女があらわれたら。あんまりかんばしくないことだ――
彼は、南原杉子とすっかり関係をたつべきだと考えていた。然し、浮気をよす心算ではない。ワイフの知っている女との関係など、物騒だと思ったのだ。
気づまりな空気にならないように、さかんに喋るのが蓬莱和子であったが、本当は、自分の注目をひきたいような言葉ばかりであった。
「この真珠のいわくを申しましょうか」
彼女は、仁科たか子にささやいた。
「たか子さん、うちの女房は大へんな女房ですよ。僕に浮気したら背広買ったげると云ってね、出来なかったから真珠を買わされたのですよ。相手は、もうじきあらわれるだろうところの南原女史。浮気は出来ない。真珠は買わされる。さんざんです」
蓬莱建介が笑いながら云った。たか子は、目の前の夫婦が不思議だと思った。仁科六郎は不愉快でならなかった。だが、快活をよそおわねばならないと思った。
「たか子。僕が浮気したらどうする?」
「いやですわ、冗談おっしゃっちゃ」
「たか子さん、御心配御無用よ。六ちゃんは絶対大丈夫。私が太鼓判を押すわ」
たか子は素直に笑った。蓬莱和子は悠然と頬笑んだ。彼女は、誰からも信頼され、誰か
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