『いつかどこかで』をかけろよ」
「あら、思い出があるの?」
その時、南原杉子は、はっきりと南原杉子になっていた。
「あるのよ、御主人との思い出よ。私が、ホールでうたっていた時、御会いしたのよ」
仁科六郎は驚いた表情で南原杉子をみた。
「私ね。パートナーと踊りに行って酔っぱらったから、舞台にあがっちゃったの」
「いつかどこかで」がなり出した。
「女史、踊ってくれませんか」.
「いやよ、奥様と踊るわ」
南原杉子は、蓬莱建介の方へにっと笑ってみせた。
「お杉、踊ってくださるの、うれしいわ」
南原杉子は、蓬莱和子をかかえた。そして、もう、彼女の肉体に何も感じなかった.
「たか子さん、おかしいね、あの二人、あなたも踊られませんか」
「私、ちっとも知らないのです」
踊っている蓬莱和子はふと身体をかたくした。南原杉子と自分。彼女は、自信がくずれてゆくのを知った。
「御疲れ、よしましょう」
南原杉子は、蓬莱和子をいたわるように椅子にすわらせた。
五人は、御酒をのんだり、御馳走をたべたりするうちに、わだかまりをとかしはじめた。しかし、この際、わだかまりがとけるということは、非常に危険なのである。南原杉子は、さかんにのんだ。けれど、はっきり南原杉子を意識していた。仁科たか子は味わったことのない空気に酔いだした。そして、仁科六郎を世界一よい夫君だと信じた。蓬莱建介は、無事に終りそうなのでほっとしていた。彼は、南原杉子に、関係をつづけてくれと頼もうかと思った。それ程、彼女は美しかったのだ。蓬莱和子は、いらいらしはじめた。そして、しきりに、真珠の首飾りをいじった。
――本当に、浮気をしたなら、浮気をしましたなど云えないわ。夫と、お杉は何かあったのじゃないかしら。でも、彼女は、仁科六郎を愛している筈。いや、愛しているとみせかけて、夫と何かあるのをかくしているのかしら――
蓬莱和子は、仁科六郎と、夫建介とを見比べた。蓬莱建介の方が立派である。彼女は、喜びと不安と、どっちつかずの気持であった。
「六ちゃん。いやに黙っているのね。奥様とおのろけになってもいいことよ」
仁科たか子は、はずかしそうに、しかし嬉しそうにうつむいた。彼女は、善良な女性である。
「お前ときたら、のろけるのは人前だと考えているのかね」
蓬莱建介は笑いながら云う。
「ねえ、あなた。でもお若い御夫婦をみてると羨
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