いう上諭《じょうゆ》があった。宋公はそこで自分は冥官《あのよのやくにん》に呼ばれているということを悟った。で、頭を地にすりつけて泣きながらいった。
「寵命《ちょうめい》を辱《かたじけの》うしたからには、どうして辞退いたしましょう。ただ私には七十になる老母があって、他に養う人がありません。どうか老母が天年を終るまで、お許しを願います。」
上の方にいた帝王の像《かたち》をした者がいった。
「それでは、老母の寿籍《じゅせき》を調べてみよ。」
そこで鬚《ひげ》の長い役人が帳薄を持って来て紙をめくって、
「人間世界の寿命がまだ九年あります。」
といった。そして、ちょっと言葉のきれた時、関帝がいった。
「それでは張生《ちょうせい》を代理にしておいて、九年の後に更代さすがよかろう。」
そこで宋公にいった。
「すぐ赴任さすことになっておるが、仁孝の心にめんじて、九年の時間をかそう。そのかわり、時間が来たならまた召《め》すから、そう心得よ。」
関帝は秀才を召して二、三勉励の言葉を用いた。終って宋公と秀才は下におりたが、秀才は宋公の手を握りながら、郊外まで送って来た。秀才は自分で長山《ちょうざん》の張という者であるといった。秀才はその時詩を作って贈別してくれた。その詩の中に、「花有り酒有り春|常《つね》に在り。月無し燈《ひ》無し夜|自《おのずか》ら明らか」の句があった。
宋公はすぐ馬に乗って、秀才と別れて帰って来た。そして自分の村に帰ったかと思うと、豁然《かつぜん》として夢が寤《さ》めたようになった。その時宋公は死んでから三日になっていた。母は棺の中の宋公の呻《うめ》き声を聞いて扶《たす》け出したが、半日してからやっと口が利《き》けるようになった。長山で聞いてみると張生という者があって彼《か》の日に死んでいた。
後九年して母が果して没《な》くなった。宋公は母の葬式をすまして体を洗って室《へや》へ入ったが、そのまま死んでしまった。宋公の妻の父の家が城内の西門の内にあったが、ある日宋公が国王の乗るような輿《こし》に乗り、たくさんの供《とも》を伴《つ》れて入って来て拝《おじぎ》をしていってしまった。家の者は驚き疑って、もう宋公が神になっているのを知らないから、走っていって郷《さと》の者に訊《き》いて呼びもどそうとしたが、もう影も形もなかった。宋公には自分で書いた小伝があったが、
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