扉を開けた。嵐が入っていくと、阿繊はひとりみの苦しさを訴えた。嵐はいった。
「三郎兄さんは、あなたをひどく思っているのです。夫婦ですもの、仲違い位はありますよ。なぜこんなに遠くまで逃げるのです。」
 そこで輿《くるま》をやとって一緒に帰ろうとした。阿繊は悲しそうにいった。
「私は人あつかいをせられないので、とうとう母と隠れたのです。今、返っていったなら、いやな顔をせられるのでしょう。もしまた帰るとなれば、大兄《おおにい》さんと別家するのですね。でなければ私は死んでしまいます。」
 嵐はそこで帰って三郎に知らした。三郎は昼夜兼行でいって阿繊に逢った。二人は顔を見合わして泣いた。翌日二人は出発することにして屋主《やぬし》に知らした。屋主の謝監《しゃかん》という男は、阿繊の美しいのを見て、妾にしようと思って、初めから家賃を取らずに置いて、頻りに老婆にほのめかしたが、老婆はことわっていた。その老婆が死んでくれたので、屋主は目的が達せられると思って喜んでいると、三郎が来たので、初めからの家賃を計算して苦しめにかかった。三郎の家はもう豊かでないから、多額になっている家賃のことを聞いて心配した。すると阿繊はいった。
「そんなことは心配ありませんよ。」
 といって三郎を伴《つ》れていった。そこに倉があって三十石にあまる粟が儲《たくわ》えてあった。それがあるなら家賃を払ってもまだ剰《あま》りがあった。三郎は喜んだ。そこで屋主の謝に粟をとってくれといった。謝は困らすつもりで、
「こんな物をもらっても仕方がない。金をもらおう。」
 といった。繊はためいきしていった。
「それが私の罪障ですから。」
 そこで阿繊は謝のことを話した。三郎は怒って訴えようとした。陸氏はそれをとめて、粟を村の者に別け、その金をあつめて謝に払って、車で二人を送り帰した。
 三郎は家へ帰って事実を両親に知らし、兄の山と別居した。阿繊は自分の金を出して、たくさんの倉を建てさせた。家の中には僅かばかりの蓄えもないので皆が怪しんでいたが、一年あまりしてみると倉の中は一ぱいになっていた。そこで幾年もたたないうちに大金持ちになった。そして、山は貧乏に苦しんでいた。阿繊は両親を自分の家へ呼んで養い、兄の山にも金や粟をやってたすけたが、それがなれて常のこととなった。三郎は喜んでいった。
「お前は旧悪を思わないという方だよ。」
 阿織はいった。
「兄さんはあなたを可愛がっていらっしゃるのですわ。兄さんがなかったなら、どうしてあなたを知ることができたでしょう。」
 その後はまた何の怪しいこともなかった。



底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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