らを言う時間が来た。しばらくのあいだかれはだまってわたしをおさえていた。やがていきなりかれはチョッキのかくしを探《さぐ》って、大きな銀時計を引き出した。
「さあ、おまえ、これをあげる」とかれは言った。「これをわたしの形見に持っていてもらいたい。たいした値打《ねう》ちのものではない。値打ちがあればわたしはとうに売ってしまったろう。時間も確《たし》かではない。いけなくなったらげんこでたたきこわしてもいい。でもこれがわたしの持っているありったけだ」
 わたしはこんなりっぱなおくり物を断《ことわ》ろうと思ったけれど、かれはそれをわたしのにぎった手に無理《むり》におしこんだ。
「ああ、わたしは時間を知る必要《ひつよう》はないのだ。時間はずいぶんゆっくりゆっくりたってゆく。それを勘定《かんじょう》していたら、死んでしまう。さようなら、ルミや。いつでもいい子でいるように、覚《おぼ》えておいで」
 わたしはひじょうに悲しかった。どんなにあの人はわたしに優《やさ》しくしてくれたであろう。わたしは別《わか》れてのち長いあいだ刑務所《けいむしょ》のドアの回りをうろうろした。ぼんやりわたしはそのまま夜まででも
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