、わたしは右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、かべだけしか見つからなかった。レールはどこだろう。わたしが正しい層《そう》へ出ていることは確《たし》かであった。
 そのときふとわたしは、レールが津波《つなみ》のために持って行かれたことを確かめた。わたしはもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、わたしのくわだてをとげるわけにはゆかない。
 わたしはいやでも引っ返さなければならなかった。
 わたしは急いで声をあてに避難所《ひなんじょ》のほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、仲間《なかま》の声が先《せん》よりもずっとしっかりして、力がはいっているように思われた。わたしはすぐ竪坑《たてこう》の入口に着いた。わたしはすぐ声をかけた。
「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」がさけんだ。
「道がわからなかった」とわたしはさけんだ。
「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」
 わたしはすぐとおかに上がって耳を立てた。つるはしの音と、救助《きゅうじょ》のために働《はたら》いている人たちの呼《よ》び声がかすかに、しかしひじょうにはっきりと聞こえて来た。このゆかいな興奮《こうふん》が過《す》ぎると、わたしはこごえていることを感じた。わたしに着せる暖《あたた》かい着物が別《べつ》にないので、みんなはわたしを石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパールおじさんと「先生」がわたしを暖めるために、その上によけい高く積《つ》んだ。
 もうまもなく救助《きゅうじょ》の人たちがトンネルをぬけて、水について来ることをわたしたちは知った。けれどもこうなってから幽閉《ゆうへい》の最後《さいご》の時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。ふしぎにだんだん救《すく》い出される時間が近づくほど、わたしたちはいくじがなくなった。わたしはふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。わたしたちは口をきくことができなかった。
 とつぜん坑道《こうどう》の水の中に音がした。頭をふり向けて、わたしは大きな光がこちらにさすのを見た。技師《ぎし》はおおぜいの人の先に立っていた。かれはいちばん先に上がって来た。かれはひと言も言わないうちにわたしをだいた。
 もうわたしの正気は失《うしな》われかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという意識《いしき》だけはあった。わたしは救助員《きゅうじょいん》たちが水をくぐって出て行ったあとで、毛布《もうふ》に包《つつ》まれた。わたしは目を閉《と》じた。
 また目を開くと昼の光であった。わたしたちは大空の下に出たのだ。同時にだれかとびついて来た。それはカピであった。わたしが技師《ぎし》のうでにだかれていると、ただ一とびでかれはとびかかって来た。かれはわたしの顔を二度も三度もなめた。そのときわたしの手を取る者があった。わたしはキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。
「ルミ。おお、ルミ」
 それはマチアであった。わたしはかれににっこりしかけた。それからそこらを見回した。
 おおぜいの人がまっすぐに、二列になってならんでいた。それはだまり返った群集《ぐんしゅう》であった。さけび声を立てて、わたしたちを興奮《こうふん》させてはならないと言つけられたので、かれらはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い法衣《ころも》と錦襴《きんらん》のかざりが日にかがやいているのをわたしは見た。これはぼうさんたちで、鉱山《こうざん》の口へ来て、わたしたちの救助《きゅうじょ》のためにおいのりをしてくれたのであった。わたしたちが運び出されると、かれらは砂《すな》の中にひざまでうずめてすわっていた。
 二十本のうでがわたしを受け取ろうとしてさし延《の》べられた。けれど技師《ぎし》はわたしを放さなかった。かれはわたしを事務所《じむしょ》へ連《つ》れて行った。そこにはわたしたちをむかえる寝台《ねだい》ができていた。
 二日ののち、わたしはマチアと、アルキシーと、カピを連《つ》れて、村の往来《おうらい》を歩いていた。そばへ来て、目になみだをうかべながら、わたしの手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは喪服《もふく》をつけていた。かれらはこの親もない家もない子が救《すく》われたのに、なぜかれらの父親やむすこが、まだ鉱山《こうざん》の中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。


     音楽の先生

 坑《こう》の中にいるあいだに、わたしはお友だちが
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