しばらくはうちが見えて、それから最後《さいご》の四つ角を曲がるともう見えなくなることをわたしはよく知っていた。行く先は知らない国である。後ろをふり返ればきょうの日まで幸福な生活を送ったうちがあった。おそらく二度とそれを見ることはないであろう。
 幸い坂道は長かったが、それもいつか頂上《ちょうじょう》に来た。
 老人《ろうじん》はおさえた手をゆるめなかった。
「少し休ましてくださいな」とわたしは言った。
「うん、そうだなあ」とかれは答えた。
 かれはやっとわたしをはなしてくれた。
 けれどカピに目くばせをすると、犬もそれをさとった様子がわたしには見えた。
 それですぐと、ひつじ飼《か》いの犬のように、一座《いちざ》の先頭からはなれてわたしのそばへ寄《よ》って来た。
 わたしがにげ出しでもすれば、すぐにかみついてくるにちがいない。
 わたしは草深い小山の上に登ってこしをかけると、犬も後ろについていた。
 わたしはなみだにくもった目で、バルブレンのおっかあのうちを探《さが》した。
 下には谷があって、所どころに森や牧場《ぼくじょう》があった。それからはるか下にいままでいたうちが見えた。黄色いささやかなけむりが、そこのけむり出しからまっすぐに空へ立ちのぼって、やがてわたしたちのほうへなびいて来た。
 気の迷《まよ》いか、そのけむりはうちのかまどのそばでかぎ慣《な》れたかしの葉のにおいがするようであった。
 それは遠方でもあり、下のほうになってはいたが、なにもかもはっきり見えた。ただなにかがたいへん小さく見えたのは言うまでもない。
 ちりづかの植えにうちの太っためんどりがかけ回っていたが、いつものように大きくは見えなかった。うちのめんどりだということを知っていなかったら、小さなはとだと思ったかもしれない。うちの横には、わたしが馬にしていつも乗った曲がったなしの木が、小川のこちらには、わたしが水車をしかけようとして大さわぎをしてきずきかけたほりわりが見えた。まあ、その水車にはずいぶんひまをかけたが、とうとう回らなかった。わたしの畑も見えた。ああ、わたしのだいじな畑が。
 わたしの花がさいてもだれが見るだろう。わたしの『きくいも』をだれが食べるだろう。きっとそれはバルブレンだ。あの悪党《あくとう》のバルブレンだ。
 もう一|足《あし》往来《おうらい》へ出れば、わたしの畑もなにもか
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