いた。わたしもそのあとから同じことをしようとすると、かれはつえをつき出してわたしを止めた。
「なんだ、こいつは……おめえいまなんとか言ったっけな」
「ええ、そう、でも……ほんとうはそうではないけれど……そのわけは……」
「ふん、ほんとうなものか。ほんとうなものか」
 かれはつえをふり上げたままわたしのほうへ向かって来た。思わずわたしは後じさりをした。
 なにをわたしがしたろう。なんの罪《つみ》があるというのだ。わたしはただだきつこうとしたのだ。
 わたしはおずおずかれの顔を見上げたが、かれはおっかあのほうをふり向いて話をしていた。
「じゃあ感心に謝肉祭《しゃにくさい》のお祝《いわ》いをするのだな、まあけっこうよ。おれは腹《はら》が減《へ》っているのだ。晩飯《ばんめし》はなんのごちそうだ」とかれは言った。
「どら焼《や》きとりんごの揚《あ》げ物《もの》をこしらえているところですよ」
「そうらしいて。だが何里も遠道《とおみち》をかけて来た者に、まさかどら焼《や》きでごめんをこうむるつもりではあるまい」
「ほかになんにもないんですよ。なにしろおまえさんが帰るとは思わなかったからね」
「なんだ、なんにもない。夕飯《ゆうはん》にはなにもないのか」とかれは台所を見回した。
「バターがあるぞ」
 かれは天井《てんじょう》をあお向いて見た。いつも塩《しお》ぶたがかかっていたかぎが目にはいったが、そこにはもう長らくなんにもかかってはいなかった。ただねぎとにんにくが二、三本なわでしばってつるしてあるだけであった。
「ねぎがある」とかれは言って、大きなつえでなわをたたき落とした。「ねぎが四、五本にバターが少しあれば、けっこうなスープができるだろう。どら焼《や》きなぞは下ろして、ねぎをなべでいためろ」
 どら焼きをなべから出してしまえというのだ。
 でも一言も言わずにバルブレンのおっかあはご亭主《ていしゅ》の言うとおりに、急いで仕事に取りかかった。ご亭主は炉《ろ》のすみのいすにこしをかけていた。
 わたしはかれがつえの先で追い立てた場所から、そのまま動き得《え》なかった。食卓《しょくたく》に背中《なか》を向けたまま、わたしはかれの顔を見た。
 かれは五十ばかりの意地悪らしい顔つきをした、ごつごつした様子の男であった。その頭はけがをしたため、少し右の肩《かた》のほうへ曲がっていた。かたわにな
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