んさい》の前でしたので、大屋敷の人達は貧しい子供達の話をいろいろ聞いていました。ギイ・クラアレンスは、その日そんな話を読んで涙ぐんだほどでした。で、彼はどうかしてそんな子を見付け、持合せの二十銭銀貨を施したいと思っていたところでした。彼はその二十銭で、貧しい子の一生が救えるものと思っていたのでした。彼が姉につづいて馬車へ乗ろうとした時にも、その銀貨はポケットの中にありました。乗ろうとしてクラアレンスは、ふとセエラが餓えたような眼で自分を見ているのに気づいたのでした。
 セエラが餓えたような眼をしていたのは、この少年に抱きついて接吻《せっぷん》したいからでした。が、少年は、セエラが一日中何にも食べなかったから、そんな眼をしているのだろうと思いました。で、彼はポケットに手を入れ、銀貨を持って、セエラの方へ歩いて行きました。
「可哀そうに。この二十銭を上げるよ。」
 セエラはびっくりしました。が、すぐ、今の自分は、昔自分が馬車に乗るのを見上げていた乞食娘にそっくりだと気づきました。セエラも、よくそうした娘達に銀貨を施してやったものでした。セエラは一度紅くなってから、また真蒼になりました。セエラはその情《なさけ》のこもった銀貨に、手も出せないような気がしました。
「あら、たくさんでございます。わたくし、ほんとうにいただくわけはございません。」
 セエラの声は、そこらの乞食娘の声などとは似ても似つかぬものでしたし、ものごしも良家の令嬢そっくりでしたので、馬車の中の少女達はのり出して耳を傾けました。
 が、ギイ・クラアレンスは、せっかくの施しをやめるのがいやでしたので、銀貨をセエラの手の中に押しこみました。
「君、とってくれなくちゃア困るよ。これで、何か食べるものでも買いたまえ。二十銭あるんだからね。」
 少年は、非常に親切な顔をしていました。セエラがこの上拒みでもすると、ひどく気を落しそうなので、セエラは素直にお金を取らなければ悪いと思いました。で、ようよう我を折りはしましたが、頬は真赤に燃えました。
「ありがとう。坊ちゃんはほんとうに御親切な、可愛い方ね。」
 少年が悦ばしげに馬車へとびこむのを見ると、セエラもそこを去りました。息苦しいけれど、ほほえみたい気持でした。彼女の眼は霧の中できらきら光っていました。セエラは自分が妙な恰好《かっこう》をしていること、みすぼらしいことは、前からよく知っていましたが、乞食に間違えられようとは思いもよりませんでした。
 走り出した馬車の中で、大屋敷の子供達ははしゃいで、しゃべり出しました。
「どうして、お金なんかやったの?」ジャネットはギイ・クラアレンスにいいました。「あの娘《こ》は乞食なんかじゃアないと思うわ。」
 ノラもいいました。
「口の利き方だって、乞食みたいじゃアなかったわ。顔も乞食のとは見えなかってよ。」
「それに、おねだりしたわけでもないじゃアないの。」ジャネットはいいつづけました。「私、あの娘が怒りゃアしないかと思って、はらはらしていたのよ。乞食でもないのに、乞食と見られたら、腹の立つのがあたりまえだわ。」
「でも、あの娘は怒ってやしなかったよ。」と少年はいいました。「あの娘はちょいと笑って、あなたはほんとに親切な、可愛い方だといったよ。その通りさ。僕は僕の持ってるだけをやったんだもの。」
 ジャネットとノラは眼を見合せました。
「乞食の子なら、そんなことはいうはずがないわ。『おありがとう、旦那様、おありがとうございます』っていう風にいって、ぴょこぴょこ頭を下げるはずだわ。」
 セエラはそんな話があったとは、知るよしもありません。が、その時以来、大屋敷の人達は、セエラが大屋敷に感じているような興味を、セエラに対して持ちはじめていたのでした。セエラが通りますと、子供部屋の窓に、子供達の顔がいくつも現れました。皆はよく炉のまわりでセエラのことを話し合いました。
「あの子は、学校で小使娘みたいなことをしているらしいのよ。」と、ジャネットはいいました。「誰もめんどうを見てやるものはないようよ。きっと孤児《みなしご》なのだわ。でも、決して乞食じゃないことよ。なりは汚いけど。」
 で、それからはセエラを『乞食じゃアない小さな女の子』と呼ぶようになりました。あまり長い名なので、小さい子達が急いでいうと、ひどく滑稽に聞えました。
 セエラは、あの銀貨に工夫して穴をあけ、細いリボンの切端《きれはし》を穴に通して、首に掛けました。セエラは、大屋敷がだんだん好きになりました。好きなものは何でもますます好きになるのが、セエラの癖でした。ベッキィにしても、雀達にしても、鼠の家族にしても――エミリイに対しては、殊にそうでした。セエラは前から、エミリイには何でも解ると思っていたのでしたが、時とすると、今にもエミリイが口をきき出しはしまいかと思われるのでした。が、エミリイは何を訊ねられても、返事だけはしませんでした。
「返事といえば、私だってよく返事をしないことがあるわ。恥《はずか》しい目にあった時などは、黙って皆を見返して考えていると、一番いいのよ。怒《いかり》くらい強いものはないけど、怒をじっと我慢しているのはなお偉いわ。だから、苛める人達には返事をしないに限るわ。殊によるとエミリイは、私自身が私に似ているよりよけいに、私に似ているのかもしれないわ。エミリイは味方にさえも返事なんかしない方がいいと思っているのかもしれないわ、何もかも自分の胸一つに包んで。」
 そう思いはしましたが、あまり酷い目にあったり、恥しい目にあったりすると、ただ棒のように立っているきりのエミリイを、生きてるものと想って、自分を慰めるのも、莫迦らしくなって来ることがありました。
 ある寒い晩のことでした。セエラは空いたお腹をかかえ、煮えくりかえるような胸を抱いて、屋根裏へ帰って来ました。と、エミリイは今までにないうつろな眼をして、鋸屑《おがくず》を詰めた手足を棒のように投げ出しているのです。たった一人のエミリイまでこんなでは――セエラはがっかりしてしまいました。
「私は、もうすぐ死んでしまうよ。」
 そういわれても、エミリイは、うつろな眼を見開いているばかりでした。
「もう我慢が出来ないわ。寒いし、着物は濡れてるし、お腹は死にそうに空いているんだもの。死ぬにきまってるわ。朝から晩まで、まア何千里歩いたことだろう。それなのに、料理番の要るものが見付からなかったからといって、晩御飯を食べさせてくれないの。ぼろ靴のおかげで、私が辷《すべ》ったら、皆は私を嗤《わら》うのよ。私は泥まみれになってるのに、皆はげらげら笑ってるのさ。エミリイ、わかったかい?」
 エミリイの硝子玉《ガラスだま》の眼や、不服もなさそうな顔付を見ると、セエラは急にむかむかして来ました。彼女は小さい手を荒々しく振り上げて、エミリイを椅子から叩き落しますと、急に欷歔《すすりな》きはじめました。セエラが泣くなどとは、今までにないことでした。
「お前はやはり、ただの人形なのね。人形よ、人形よ。鋸屑のつまってる人形に、何が感じられるものか。」
 ふと、壁の中にただならぬ物音が起りました。メルチセデクが誰かを折檻《せっかん》しているのでした。
 セエラの欷歔《すすりなき》はだんだんおさまって来ました。こんなにへこたれるのは、いつもの自分らしくない、とセエラは意外に思いました。彼女は顔をあげて、エミリイの方を見ました。エミリイは横眼を使ってセエラの方を見ているようでした。その眼は硝子玉にはちがいありませんでしたけれど、何かセエラに同情しているようでした。彼女は身を屈《かが》めて人形を抱き上げました。悪かったという気持で、胸が一杯でした。
「お前が人形なのは、あたりまえだわね。お前は鋸屑なりに、出来るだけのことはしているのかもしれないわね。」
 そういいながら、セエラはエミリイに接吻し、着物の皺を伸して、いつもの椅子の上にかけさせてやりました。
 前からセエラは、隣の空家に誰か住めばいいのにと思っていました。というのは、その家《うち》の屋根裏の窓が、セエラの部屋のすぐ向うにあるからでした。その窓が開かれて、四角い口から誰かの頭や肩が出て来たら、どんなにいいだろうと思われました。
「立派な顔の人だったら、こっちから挨拶してみよう。でも、こんな屋根裏には、召使のほかいるはずはないわね。」
 ある朝、セエラがお使から帰って来ますと、引越の荷車がその家《うち》の前に止っていました。セエラは運びこまれる家具の類から、そこに住むのがどんな人か、たいてい想像のつく気がしました。
「お父様と初めて来た時、ここのお道具はミンチン先生そっくりだ、と思ったことがあったわ。大屋敷にはきっと、むくむくした肱掛椅子《ひじかけいす》や、寝椅子《ソファー》があるに違いないわ。あの紅い壁紙の色だって、大屋敷の人達のように温かで、親切そうで、幸福そうに見えるわ。」
 引越の荷車からは、丹念に加工した麻栗樹《チイク》の卓《テーブル》や、東洋風に縫取《ぬいとり》の施してある衝立《ついたて》などが下されました。それを見ると、セエラは妙に懐郷的《ノスタルジャー》な気持になりました。彼女は印度にいた時には、よくそうしたものを見たものでした。ミンチン先生に取り上げられたものの中にも、彫刻のある麻栗樹《チイク》の机が一つあったのでした。
「綺麗なお道具だこと! きっとこれを持ってるのは立派なお方よ。大がかりなところもあるから、お金持なのかもしれないわ。」
 その家具には、どこか東洋的なところがある上、立派な仏殿《ぶつだん》に入った仏像が一つ運び出されたのを見ると、この家《うち》の人は印度にいたことがあるに違いありません。
「屋根裏の窓から首を出す人はないかもしれないけど、この家《うち》の人とは、何だかもう親しいような気がするわ。」
 夕方牛乳を運び入れる時、セエラは大屋敷の御主人が、新しく越してきた家《うち》へ入って行くのを見かけました。そのうち出て来て、人夫達に指図をしたりするのでした。きっと大屋敷とこの家《うち》とは親しい間柄なのでしょう。
「子供があれば、大屋敷の子供達も、きっとこの家《うち》に遊びに来るわ。そして、面白がって屋根裏へ登って来ないとも限らないわ。」
 その晩、セエラのところに来たベッキィは、こんなことをいいました。
「お嬢さん、お隣に越して来たのは、印度の人ですってさ、色は黒いかどうか知らないけど。大変なお金持で、大屋敷の旦那様は、その方の弁護士なんですって。あまり心配事があったので、身体を悪くしてしまったのですって、あの人は、木や石を拝む邪宗徒なのよ。何か妙な偶像を運んで行くのを、私見てよ。」
「でもそれは、拝むわけじゃアないんでしょう。仏像にはいいものがあるから、拝むためじゃアなく、眺めるために持ってる人があるのよ。うちのお父様も、一ついいのを持ってらしったわ。」
 ある日、一台の馬車がその家《うち》の前に止りました。馭者《ぎょしゃ》が戸を開けると、大屋敷の父親や、看護婦が下りました。すると、玄関から下男《げなん》が二人駈け降りて来ました。馬車から助け下された印度の紳士は、骸骨《がいこつ》のように痩せ衰えた体を毛皮で包んでいました。大屋敷の主人はひどく心配そうでした。まもなく、お医者様の馬車が着きました。
 その日、セエラがフランス語の組に出た時、ロッティはそっといいました。
「セエラちゃん、お隣には黄色い顔の小父《おじ》さんがいるのね。支那人《しなじん》かしら? 地理の本には、支那人は黄色い顔をしている、と書いてあったけれど。」
「支那人じゃアないことよ。あの小父さんは、大変おからだが悪いのよ。――さア、練習問題をおやんなさい。『ノン・ムシウ。ジュネ・パ・ル・カニフ・ド・モンノンクル。』(いいえ、私は伯父さんのナイフを持っていません。)」
 そうして、それから印度紳士の話が始まりました。

      十一 ラム・ダス

 時とすると、広場で見る夕焼《ゆうやけ》もなかなか美しいものです。が、街から
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