うなすったの? どうして、私が嫌いになったの?」
 アアミンガアドの声を聞くと、セエラの喉にはまた、いつものかたまりがこみ上げて来ました。アアミンガアドの声は、いつか仲よしになってちょうだいといった時の通り、人なつっこく、真率でした。この数週間の間、よそよそしくするつもりなんか、ちっともなかったのに、というような響でした。
「私、今でも、あなたが大好きなのよ。」と、セエラはいいました。「私ね――もう何もかも、前とは違ってしまったでしょう。だから、あなたも、前とは変っちまったんだろうと思ったの。」
 アアミンガアドは、泣き濡れた眼を見張りました。
「あら、変ったのはあなたの方よ。あなたは、私に物をいいかけても下さらなかったじゃアないの。私、どうしていいか判らなかったの。私がうちへ行って来てから、変ったのはあなたよ。」
 セエラは思い返して、自分が悪かったのだと知りました。
「そうよ、私変ったわ。あなたの考えてるような変り方ではないけど。ミンチン先生は皆さんとお話しちゃアいけないって仰しゃるのよ。皆さんだって、私と話すのはおいやらしいの。だから、私あなたもきっと、おいやなんだろうと思って、なるべくあなたを避けていたのよ。」
「まア、セエラさん。」
 アアミンガアドは、セエラを咎めるように泣きじゃくりました。二人は眼を見合わせて、そして、お互に抱きつきました。セエラはしばらくの間、小さい黒髪の頭を、赤いショオルで被《おお》われたアアミンガアドの肩にじっと乗せていました。アアミンガアドが、身を引こうとすると、セエラはひどく寂しい気がしました。
 それから、二人は床に坐りました。セエラは手で膝をかかえ、アアミンガアドはショオルにからだを包んで、
「私は、もうとてもたまらなかったのよ。セエラさんは、私なしでも暮せるでしょうけど、私は、セエラさんなしにはいられないのよ。私は生きてる気もしなかったの。今夜も、夜具の中で泣いていたら、ふと急に、ここへ登ってきて、あなたにあやまって、もう一度お友達になっていただこうって気になったの。」
「あなたは、私なんかよりよっぽどいい方なのね。私は我が強いから、仲直りしようなんて気にはなかなかなれないのよ。ほら、いつかもいったように、今度のように辛い目にあって見ると、私はいい子じゃアないということが、あばかれてしまったでしょう。こんなことになりはしまいかと、私気にしていたのよ。」セエラは考え深そうに額に皺を寄せて、「ことによると、それを私に解らせるため、辛い目にあわせられたのかもしれないわ。」
「そんな目にあったって、ちっともありがたくはないと思うわ。」
「私だって、ほんとうはありがたいと思ってるわけじゃアないのよ。でも、私達にはわからないところに、よいものがないとも限らないでしょう。ミンチン先生にしたって――。」
 セエラは疑わしげに――「いいところが、あるのかもしれないわ。」
 アアミンガアドは、怖々《こわごわ》そこらを見廻して、セエラに訊ねました。
「あなた、こんなところに住めると思うの?」
「こんな所でも、こんなじゃアないつもり[#「つもり」に傍点]になれば、住めると思ってよ。でなければ、これは、あるお話の中の場面だと思っていればね。」
 セエラは静かに語りました。うまい具合に空想がまた働き出して来ました。ふいに辛い目にあってからこのかた、セエラは一度もまだ、空想によって慰められたことがなかったのでした。
「もっとひどい所に住んでた人もあるのよ。モント・クリスト伯爵はシャトオ・ディフの牢屋に押しこめられていたでしょう。それから、バスティユに抛《ほう》りこまれた人達だってあるでしょう。」
 アアミンガアドは口の中で、
「バスティユ。」といいました。いつかセエラが芝居がかりで話してくれた事がありましたので、アアミンガアドもフランス革命の話だけは覚えこんでいました。
 セエラの眼は、いつものように輝いて来ました。
「つもり[#「つもり」に傍点]になるのは、バスティユがいいわ。私はバスティユの囚人なの。私は、もう幾年も幾年もここに押しこめられていたの。世の中の人達は皆、私のことなんか忘れてしまっているの。ミンチン先生は監守で、それからベッキイは――」ふと新しい光が、セエラの眼に加わりました。
「ベッキイは、お隣の監房にいる囚人なの。」
 セエラは、昔の通りな顔になって、アアミンガアドの方を向きました。
「私、そのつもり[#「つもり」に傍点]になるわ。つもり[#「つもり」に傍点]になってると、どんなにまぎれていいかしれないわ。」
 アアミンガアドは、たちまち夢中になりました。
「そしたら、私にもつもり[#「つもり」に傍点]のお話をみんなしてちょうだいね! 見付けられそうもない晩には、いつでもここに来ていいでしょう? そしたら、あなたが昼間のうちに作っといたお話を聞かしてちょうだいね。そんなことをしていると、きっと今までよりも、もっと仲よしになったような気がすることよ。」
「いいわ。何か事が起ると、人の心もわかるものね。私の不幸《ふしあわせ》は、あなたがほんとうにいい方だってことを教えてくれたのね。」

      九 メルチセデク

 セエラを慰めてくれた三人組《トリオ》の第三人目はロッティでした。ロッティはまだねんねエでしたので、不幸とはどんなことだかも、よく解りませんでした。で、若い養母《おかあ》さんの様子がすっかり変ってしまったのを見ると、途方にくれるばかりでした。彼女は、セエラの身の上に何か起ったということは耳にしましたが、だからといって、どうしてあんな古い服を着ているのだか、なぜ教室でも自分の勉強はせず、他人の勉強ばかり見てあげているのだか、合点が行きませんでした。小さい子供達は、あのエミリイのいた美しい部屋に、セエラはもういないのだということを、しきりに小声で話し合っていました。それにセエラに何か問いかけても、ろくに返事もしません。
 セエラが、初めて小さい子達のフランス語を見てやった朝、ロッティは、そっとセエラに尋ねました。
「セエラちゃん、あなた、ほんとにもうお金持じゃアないの? あなたは、乞食みたいに貧乏なの? 乞食みたいになんかなっちゃアいや。」
 ロッティは今にも泣き出しそうでしたので、セエラは周章《あわて》てロッティをなだめにかかりました。
「乞食には、お家《うち》なんかないけど、私には、お部屋があるのよ。」
「どこにあるの? 私、行ってみたいわ。」
「おしゃべりしちゃア駄目よ。ミンチン先生が睨めてるじゃアないの。あなたにおしゃべりさせたといって、いまに私が叱られるわ。」
 が、ロッティは、一度いい出したら、なかなか諦めない性質の子でした。で、セエラがいる所を教えてくれないなら、何か他の方法で、セエラのいる所をつきとめようと思いました。ロッティは大きい子達のおしゃべりに耳をすましているうち、ある時、ふとした言葉尻から、セエラが屋根裏にいるのだということを知りました。その日の暮近く、ロッティは一人、今まであるとも気づかなかった階段を登って行きました。二つ並んでいる戸の一つを開けると、セエラは古ぼけたテエブルの上に立って、天窓から外を見ておりました。
「セエラちゃん、セエラ母ちゃん。」
 ロッティは呆気《あっけ》にとられた形でした。室内があまりにみすぼらしく、世の中からあまりかけ離れた所のように思えたからでした。
 セエラは振り向くと、これも呆気にとられた形でした。これから、どうなることだろう。もしロッティが泣き出しでもしたら――泣声がひょっと誰かの耳にでも入ったら、二人とももうおしまいだ。――セエラはテエブルから飛び下りて、ロッティの方へ走り寄りました。
「泣いたり、騒いだりしちゃア駄目よ。そうすると、私が叱られるからね。でなくても、私一日中叱られ通しなんですもの。ね、この部屋は、そんなにひどくもないでしょう?」
「ひどくない?」
 ロッティは唇を噛みながら、部屋の中を見まわしました。彼女は甘やかされてはいましたが、セエラが非常に好きなので、この養母《おかあ》さんのためになら、どんな我慢でもしようと思っていました。すると、セエラの住んでいる所なら、どんな所でもよくなるような気がして来ました。
「ひどいなんてことないわ。セエラちゃん。」
 セエラはロッティを抱きしめて、無理にも笑おうとしました。ロッティのむっちりした身体の温かさを感じると、セエラは何か慰められるような気がしました。その日は、セエラには殊に辛い日でしたので、ロッティの入ってきた時には、眼を紅くして、窓の外を見つめていたのでした。
「ここからはね、階下では見えないものが、たくさん見えるのよ。」
「どんなものが見えるの?」
「煙突や、雀や、それからよその屋根裏の窓や。――窓からよく人の顔がひょいと出て来るのよ。すると、あれはどこのお家《うち》の人かしらと思うでしょう。それに、何だか高い所にいるような気がするでしょう――まるで、どこか違った世界に来たような。」
「私にも見せて。抱いてみせて!」
 セエラはロッティを抱き上げ、一緒に古いテエブルの上に立ちました。二人は天井の明りとりの窓から頭を出して、そこらを見廻しました。
 屋根裏の窓から外を見た経験のない方には、二人の眼に何が映ったか、想像もつかないでしょう。石盤《スレート》葺の屋根が、左右の両樋の方へなだれ落ち、雀等が、そこらを何の怖れもなさそうに飛び歩きながら、囀《さえず》っていました。そのうちの二羽は、すぐそこの煙突の先にとまって、大喧嘩をした末、一羽はそこから逐いたてられてしまいました。隣家《となり》は空家なので、屋根裏部屋の窓も閉っていました。
「あそこにも誰かが住んでいてくれるといい、と私思うのよ。」セエラはいいました。「近いから、あそこに娘さんでも住んでるとしたら、窓越しにお話も出来るわ。落ちる心配さえなければ、屋根から屋根へ行き来も出来ると思うの。」
 空は、往来から見上げた時より、ずっと近くに見えるので、ロッティは恍惚《うっとり》となってしまいました。下界に起っているいろいろの事は、煙突にかこまれてこの窓からは、まるで嘘のように思われました。ミンチン先生も、アメリア嬢も、教室も、ほんとうにあるのかないのか、判らなくなって来ます。広場の車馬の響さえ、何か別の世界の物音のように聞えて来るのでした。ロッティは思わずセエラの腕にしがみつきました。
「セエラちゃん、私このお部屋好き――大好き。私達の部屋よりよっぽどいいわ。」
「あら、雀が来てよ。パン屑でもあれば、やりたいのだけど。」
「私、持っててよ。」
 雀は、屋根裏にお友達がいようとは思わなかったので、パン屑を投げられると、驚いて一つ向うの煙突の先へ飛び退きましたが、セエラがちゅっちゅっと雀の通りに口を鳴らしますと、雀はせっかくの御馳走に脅かされたのだと気づいたらしく、首を傾げてパン屑を見下しました。それまで、おとなしくしていたロッティは、耐《こら》えきれなくなりました。
「来るでしょうか?」
「来そうな眼をしてるわ。来ようか、来まいか、と迷っているのよ。あら、来そうだわ。ほら、来たわ。」
 雀は、しばらくためらって後、大きなかけらを素早く嘴《つま》んで、煙突の向うへ飛び去りました。が、じき一羽の友を伴れて、戻って来ました。友はまた友を伴れて来ました。ロッティ[#「ロッティ」は底本では「ロィテッ」]はうれしさの余り、初め部屋のみすぼらしさに胸を打たれたことなど忘れてしまいました。セエラ自身も、ロッティによって、今まで気づかなかったここの美しさを知りました。
「この部屋は、小さくて高いところにあるから、鳥の巣といってもいいわね。天井がかしいでいるのも面白いでしょう。こっちの方は低くて、頭がつかえそうね。私夜が明けると、床の上に坐って、窓から空を見上げるのよ。すると、窓はまるで四角な明るみの継布《つぎ》みたいなのよ。お天気の日には、小さな薔薇色の雲がふわふわ浮いてて、手を伸したら届きそうなの。雨の日には雨
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