皆分って了っている。今更弁解は一切不用であろう。分っている。実に、人々よ。鬱積せる復讐心、満たさるる事なき一つの願望、それが目的の道を閉ざされた時には、必ず曲った方向へ外れて行かねばならない。
 精神分析家はそんな傾向から来る悪い行為を「復讐の代償」と呼ぶが好い。私は実に新しい相手へ向って無意識的に「代償」を実行したに相違ないではないか。自分の苦悩を軽減するために、他人の苦悩するさまを見て楽しむとは……ああ、それは虎にも獅子にも具わっていない特異なる残忍性の発露である。私が男らしくなく泣き崩れ、何処にも救いを見出せない闇の中を這い廻ったのは、以上の事に気附いたからであった。
 蛇と鰐と狐とを混ぜ合して煮ても、私の心よりひどい濁りは浮いて来まい。
 今、今ならば何うにか直せそうである。早く、早く、私はあの娘にもう一度会って、私の醜い謀みを詫びよう。ああ彼の女は何んなに眠れぬ時間を持ち扱い、悔恨と困惑とで懊悩している事であろう。彼の女は罠に陥ちた兎よりも、もっと憐れ深く悶えているに相違ないのであった。
「復讐の代償」……そんな卑怯な陰惨なものがあって好いだろうか? 実にもう何の弁解も入りはしない。唯一つ云って置こう。弱い心と卑怯とは同じものを意味するのである。

   悪心の中に包まれ育つ善心

 闇は限りなく濃くなって、気体でなく、固体――油じみた古い布団のように私を圧した。眠ろうとしても心の静かにならない哀れさ。髪の毛の生え目は一つ一つに痛み、眼や鼻は硫黄の煙りで害されたように渋く充血した。
 道を曲げてはいけない! 一つの目的を明確に意識せねばならない! 復讐の相手の顔から眼を外らしてはいけない!
 正直な心、曲らぬ心、何故それをはっきりと保ち得ないのか?
 けれど軈て私は熱っぽい眠りに堕ちて行った。夢は再び私を悲しく覚醒させた。何でも太って赭い顔の男が私に斯う話したのである、
「兄弟を殺しても、御免なさいと云やあ、それで済んだ時代があったさ。時代、時代がね。」
 それから想起し得ない混乱の後に、私の亡父が表れ、不快な舌を以て呟いた。
「帽子を盗んでも、首を切っても、同じ位の罪しか感ぜぬ人間もあった。それから、それで好い時代もあった。時代も。」
 私は恐怖する。之等の夢の示現は何を意味しているのか? 私は心の奥底から後悔していない為めに、斯んな荒れた考えを夢みる
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