です。」
言葉は簡単で、にべもなかったが、その中には何かしら取りとめのない諦めが含まれているようであった。
彼れが最近何れ程、孤独に安んじ、自ら足る事以外に何物をも求めぬかを私は今更知って驚いた。
五
然しそのような愛情の行き違いから、唯一の女友達をさえ失って了ったラ氏は、時とすると、満足な心の中に、尚お嶮しい寂しさを感ずる事もあるらしかった。
そんな寂しさは彼れの胸中で幾分か変化して、次のような意地悪い行為となって表れた。
一週間後のある夕暮れ、ラ氏を不意に訪れたのは、某教会の日曜学校を監理している三十格好の好青年であった。彼れは最近にその愛妻を失ったとかで、態と質素な服をつけ、ボタンなども取れたものは取れたままに放置して、そんな無造作を楽しんでいる風さえ見えていた。
彼れはいきなり一面識もないラ氏に色々の慰撫的《いぶてき》な言葉をかけた。けれどもラ氏は少しも喜びの色を表面へ現さぬばかりでなく、何を思ってか、「悪魔退治」という印度の脚本の事を語り出した。(この脚本は過日マセドニヤ丸乗組みの印度人達によって、実演された相である。)それから彼れは引き続いて、
「エスキモーの国には悪魔という言葉がない。だからエスキモー人へ向って、我れ我れがいくら悪魔の事を説明しても、そんな悪い者が此の世に居る訳もないといって、承知しない相だ。」というような話しを、さも羨まし相に物語るのだった。「神と一緒に悪魔を案出する程なら、その何方をも案出せぬ方が宜敷《よろし》い。」
教会の青年はこの異国人の心持ちが了解出来ぬらしく、不可解な微笑を浮べながら、立ち上り、廊下に置いてあった花束の一つを取り出して、それをラオチャンドに与えようとした。
その拍子にラ氏はすかさず例の横笛を取り出して、私の制止をきかず、印度の古調の一節を吹いた。青年はその不思議な節回しに耳を傾けつゝ、何かしら自失したように、呆然と立っていた。
一節が終ると、ラ氏は直ぐその笛を青年の前へつきつけて、「プレイ、プレイ。」と重い音調で要求した。
「下手ですから……」と、青年は拒みかけた。
「それなら、花束も貰わない。」と、ラ氏は恐ろしく絶望的な表情をして呟いた。
この時、青年はラ氏の心全体を直覚的に理解して、驚きの眼を瞠《みは》った。そして白い小さな手を出して、横笛を取り上げた。
ラ氏は夢見るような奥深い眼で、青年の為す所を凝視していた。
青年は六つの指をそれ/″\の穴に当てがい、遂に決心して、笛の口を自分の唇へと接近せしめた。
「危い!」と、ラ氏は言った。そして立ち上りざま、青年の手からは笛を、机の上から花束を、一時に取り上げて、幾度も深くうなずいた。
六
ラ氏の心持ちが段々と穏かなものに変化して行った時、却って、彼れの身体が疲弊を増すのみとなったのは悲しむ可き事である。
退院の予定は全くくつがえされた。然《しか》も最早一銭の貯えをも彼れは持ち合していなかった。
院長はラ氏の経済状態を十分観察し、その上、もう余命が長くないらしいのを了解して、彼れを施療部へ移す事を承諾した。
若しこの世に、天国と地獄とを兼ね具えたものがありとすれば、それは確かに施療室である。
何故なら、其処では救助と残虐とが、日を同じゅうして行われるからである。
死と向い合って坐する幾日を、ラ氏はこの苦しい施療室で過し、曽《かっ》て住みなれた三等室に憧憬の心を寄せ通した。
彼れは金銭を全部失った日から、又急激に痩せ初めた。この事は人と物質との微妙な関係を我れ我れへ承認せしめるに十分だった。
斯うして彼れは再び血を吐く機会に行き会った。彼れはそれを「生命の支払い期」と戯れて呼んだ。
ある時の如きは、止め度なく口から血が垂れるにも拘らず、彼れは態と身体の安静を破って、烈しく起き上り、声を立てて、天へ祈りを上げ初めた。
最早、医師の誰もが、ラ氏のこんな行為を制止しようとは試みなかった。何故なら此処は施療部である。若し施療室というものに頭脳があるなら、それはきっと斯ういう苛酷な思想を持ったに相違あるまい――
「地上に於いて、実用に適さぬ生命は早く天へ送られる方が好いのである。」
私は恐怖の眼で友人ラオチャンドを見やった。痩せる丈痩せて、昔日の面影もない彼れはベッドに坐して、体を前後にゆすっていた。彼れの眼尻には血の飛沫が一点、アミーバの拡大図のような形ちで付着していた。板の間の上へ置かれた、古い洗面器には、彼れの吐いた血が鎮まり返って溜っていた。
と、其処へ、何を慌ててか、一人の助手が肘《ひじ》を縮めながら、駆け込んで来た。彼れはいきなり板の間の洗面器へ、粗忽な足の先を突きあてた。血は丁度嘗て人間の体内に居た時の如く、波打った。丸い波紋が次々と表れるのを、ラ氏は侮辱されたような顔付きで眺め入ったが、軈《やが》て、
「私の血が再び動き出した……」と、悲しそうに私の方を振り向いて呟いた。
「それより、静かに臥さねば……」と、私も亦落ちつかぬ心で彼れへ言った。
「私の国では、寝た儘で祈るという風習はない。」と、彼れが頑固に返答した。そして何事かをパーリ語で唱えては、体を前後に揺するのであった。
七
再び美しい月の夜が来た。
私は以前に一度経験したと全然同じ情景を、月光の下に見出して少からず驚かされた――ラ氏が唯だ一人で、物干し台の鉄の梯子をよじ登ろうとしていたのである。私は長い廊下を急いで、彼れの跡を追って行った。そして、広く冷たい天空の直下で、漸《ようや》く彼れと向き合う事が出来た。
「骸骨《がいこつ》が斯《こ》んなに歩きます。」彼れは弁解するというより、寧ろ、陳謝する如く、そう私へ囁《さゝや》いた。私はその一言を聴くと、最早|何《ど》んな難詰の言葉を見出す力をも失った。そして、この夜こそ、恐らく、彼れが大きな天空を眺めて楽しむ最後の時となるだろうという事を、独り黯然《あんぜん》と予覚するのであった。
この美しい月光の宵《よい》、私と彼れとは短い時間の内で、極めて多くを語り合った。
色々な会話の中で、殊に私の注意を惹《ひ》いた部分は次の三つに他ならなかった。
ラオチャンドは言った――
「私の手に手袋がはまっている。私が手を動かすと、手袋も斯んな風に動く。然し、(此処でラ氏は手袋をぬいだ。)手から引き離すと、労《つか》れたようにうなだれて、もう決して動かない。不思議ではないか。」
又、ラ氏は物語った――
「私の叔父に書物を広く読んだ、優れた人があった。彼れは矢張り私と同じ疾患で仆《たお》れたが、病臥の日の中で、私へ斯ういう事を教えて呉れた。
ラオチャンド、分るか。月が虧《か》けている時、それは本統に半分を失って了ったように見える。けれど、実は何者をも失ってはいないのだ。私が不意に居なくなるとしても、それは月の部分が虧けるようなもので、実は何も変った事は起っていないのだ。」
この言葉につれて、二人は思わず頭上の天を眺めやった。私は深い困惑に落ちて、この異国人の旅愁を少しでも和らげてやりたいと願った。然し、ラ氏は最早全く感情的なものから遠ざかって、平和に微笑んだ。
更に彼れは斯う呟《つぶや》いた――
「私は何んな場合でも、極く自然に幸福を自分のものとした例を知らない。では、何うして私は幸福をかち得たか? 何時も不幸でもって、幸福を買ったのである。例えば、私は幼い時から、日本へ渡って来たいと憧憬《あこが》れた。然し、その願いが果たされたのは、横浜で病いにかゝった叔父を看護する目的からであった。
又、私は君と大変親密にして貰って嬉しいが、そうなる為めには、私の病気が色々と機会を造ったのではないか。」
八
ラオチャンドの死は意外に早く来た。
生憎《あいにく》、私は副院長の用事を帯びて、N地方へ旅行に出ていたので、ラ氏の臨終を親しく見届けてやる事が出来なかった、それを私は今尚お残念に思っているのである。
彼の[#「彼の」は「彼れの」の誤記か]屍骸が病院から何処へともなく運び去られて後、約一カ月程して、私は漸く旅行先から病院へと立ち戻って来た。
その時、多くの医師たちは既にラ氏の名前を忘れ去って、唯だ「印度人」と呼んだりしていた。
私は久々に自分の事務机へ向って坐った。そして吸取紙を出すために、机の抽出しを半分程明けた。抽出しが妙にきしむので、私は間に何か挾まっている事を察して、指を其処へ差し込んで見た。窮屈に圧されて、縮んでいる邪魔物をそっと引き出して、何の気なしに開いて見ると、それは未だ私が手を触れた事もない一通の手紙であった。差出し人はM丸乗組みの印度船員某、名宛人は院長及び副院長となって、その内容はほぼ次の通りの英文であった。
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此の間、横浜へ寄港した次手《ついで》に、私たちは貴院の施療部で御厄介になっているラオチャンドを見舞ってやった。彼れは瀕死の病者で、その上、自活費を一銭も持ち合していない貧者であった。凡ての費用を貴院から仰いでいる由を承知して、私たちは、哀れな同胞に対する院長の厚い同情を深く感謝している次第である。御恩の程は決して忘れる事が出来ぬであろう。
私達は横浜出立の間際に、ラ氏死亡の旨を貴方達から聞いて、驚きもし、悲しみもした。尚お貴方方から私達へお託し下された、シャツ、ニッケル指環、笛等は間違いなく、彼れの母(今は某家に乳母をつとめている)の下へと届ける事をお約束する。
私たちが故国へ帰着した時、先ず第一に同胞へ説き明かさねばならぬ事は、院長及び副院長の此の上なき懇切な御所業である……云々……
[#ここで字下げ終わり]
九
最後に、私は此処で、ラ氏が言い遺した一つの思念を想起する。
「私は何んな場合でも、極く自然に、幸福を自分のものとした例を知らない。何時も不幸でもって、幸福を買ったのである。」
それなら、最も大きい不幸たる彼れの死を条件として、漸くに買い取った幸福がありとすれば、それは一体何物であったろう。
私は思う。それは彼れが日本の地で持ち慣れた横笛を故郷の母へ無事に送り、その笛をして「汝の息子は平和に息を引き取った、そして、汝の息子がこの地上から影を隠すという事は、結局、月の一部が虧けるのと同じで、本統は何一つ失われて居ないのである。」という諦認を物語らせる事に他なるまい。
然し、幸福というには足らぬ、そのような浅い喜びを除いたなら、他の何処に彼れの死を以て買った幸福が発見されよう。私は全く、その問いに対して、正しい答えの出来ないのを寂しく思うのである。
(昭和二年)[#地から1字上げ]
底本:「日本文學全集70」新潮社
1964(昭和39)年11月20日発行
入力:伊藤時也
校正:小林繁雄
2001年5月22日公開
青空文庫作成ファイル:
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