安朝の鞦韆まで遡ることは容易でない。鞦韆が曾て支那から輸入されたとすれば[#「ば」は底本では「は」]、それを以て一旦中絶したと考へる方が安全かも知れぬ。然るに徳川時代になつてから、鞦韆はふらこゝ[#「ふらこゝ」に傍点]若くはぶらこゝ[#「ぶらこゝ」に傍点]の名目を以て復活され、元祿の初年からは、かしくの「鞦韆のたはぶれはやせ猿廻し」なる俳句の其※[#「代/巾」、第4水準2−8−82]に見ゆるを始めとしてポツ/\俳句の題材となり、太祇の「ふらこゝの會釋こぼるや高みより」、一茶の「秋千や櫻の花をもちながら」などいふ句もある。今日のぶらんこ[#「ぶらんこ」に傍点]といふ名稱は此ぶらこゝ[#「ぶらこゝ」に傍点]からして出て居るものに相違なからうが、其遊戯の恰好からして與へられさうな名稱として、殆ど其起原に疑を挾む者もないやうであるけれど若し此ぶらんこ[#「ぶらんこ」に傍点]なる名稱がぶらこゝからして出たとなれば、其ぶらんこ[#「ぶらんこ」に傍点]には何となく名稱として洋臭を帶びたところがある。そこで予は想像をめぐらし、ぶらんこ[#「ぶらんこ」に傍点]も、ぶらこゝ[#「ぶらこゝ」に傍点]もともに葡語のバランソから轉し、バランのみが採られて、それにコが附いたものではなからうかと思ふ。果してさうであるとすれば、日本には歴史上鞦韆の二つの流れが入つたので、古るくは支那から渡り、新しきものは歐羅巴から渡り即ち希臘から發して東西に傳播したものが、茲に日本の歴史で相逢ふことになり、鞦韆の綵繩が世界を一卷きすることになるかも知れぬ。今は疑を存するの外ない。
底本:「日本中世史の研究」同文館
1929(昭和4)年11月20日初版発行
初出:「藝文」第十三年第一號
1921(大正10)年1月発行
※「高無際や元※[#「禾+眞」、第3水準1−89−46][#「※[#「禾+眞」、第3水準1−89−46]」は底本では「槇」]」と「輸入されたとすれば[#「ば」は底本では「は」]、」の修正は、初出に拠りました。
※その他の修正は、文意から判断しました。
入力:はまなかひとし
校正:湯地光弘
2004年5月18日作成
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