ふことは、俗にいふはき溜めに鶴の下りた樣なものであるが、此顯家は靈山に居つて下知を傳へ、南部を始めとして其他奧州の官軍を其麾下に從へ、延元二年には十萬餘騎と號する大軍を組織して白河の關を越え、關東の平野に殺到し、鎌倉を陷れ、延元三年には東海道を打登り、追躡して來た足利勢を美濃垂井に逆撃し、首尾よく畿内に乘り込んだ。奧州人の大擧南下したのは、これが始めてである。其前に義經に從つて奧州の者共が源平合戰に參加した事があるけれど、其規模の大小迚も此延元の時に比すべくもない。若し此時に顯家の軍勢が勝利を得たならば、南朝方の御利運といふのみでなく、奧州の者で上方に地歩を占める者も多くあつたらうし、又上方から奧州へ下る者の數も殖え、鎌倉の始に既に殆ど撤廢されて尚ほ少しく殘つて居つた日本と奧州との障壁も、爰に全然取り去られ、奧州の文化は其お蔭で長足の進歩をなし得たであらうと思はれるが惜しい事には事此に及ばず、奧州勢が其中堅をなした顯家の軍は安倍野の合戰に打ち敗れ、顯家は泉州石津といふ所で戰死し、神皇正統記に所謂忠孝の道極まつたのである。が、これ單に顯家卿忠孝の道極りて、親房准后の嘆きを増したのみではない、奧州開發の運命もこれが爲めに暫く閉ぢらるゝ事になつた、これ誠に遺憾の次第と云はざるを得ない。
 足利時代になると奧州は鎌倉管領の支配に屬し、諸大名は關東衆といふ名の下に一括され、所謂謹上衆と稱する第二流諸侯の資格を與へられ、篠河殿といふ觸れ頭が奧州に置かれてからは、其統率を受くることゝなり、要するに奧州と上方とは間接の關係になつた。けれども公け以外には上方との個々直接の交通絶えたるにあらずして、大名の遙々見物がてら京都に參覲し、將軍の諱の一字を貰ひ受け、それを土産に歸國するもの少からずあつた。南部家の歴代の中に晴政といふ人があるが、此人上洛して將軍義晴の一字を貰ひ受け、晴政と名乘つたなど其一例である。南部系圖には、甲斐源氏として同族なる武田晴信の晴の一字を請ひ受けたと記し將軍義晴の一字を賜はつたことをば唯別説として記してあるが、却へりて公儀日記の方には、此度偏諱を賜はり度いとて上洛して居る南部といふ者は、奧州でも聞ゆる豪の者であるから、望み通り與へられて宜しからうと評議一決したことが載せてあつて、晴の字が將軍の偏諱であること紛れもない。斯かる例は南部に限らず、その他奧州の諸大名に共通なことで、義輝將軍の頃までは此連中可成りにあつたらしい。義昭の時には將軍の光りが大に薄くなつて、參覲者の數も殆ど皆無となつたが、それでも、石川大和守ばかりは、義昭將軍に謁見し、諱の一字を賜はりて昭光と名乘つたといふ。上洛者の獻上物は南部などは馬であるが、一般には鷹であり、京洛に滯在し久しきに渉る者は、歌道などを稽古し、一廉の歌人となり、名を新菟玖波集に列し得て歸へるもあつた。大名のみならず其臣下の者共までも伊勢參りをし京都見物をして歸へるもあり、兵亂の爲めに歸路を斷たれた上洛者の中には、その儘都に留まりて、或は旅宿の娘などに契り、彼の地で一生を終へた者もあつたらしい。上方からして奧州へ下る者には鷹買、馬買、遍歴藝人、武者修行、僧侶等であつて武者修行の中には根來法師等も交つて居つた。奧州に始めて鐵砲戰を教へたのは、其等根來法師のやうである。斯く上方と奧州と兩方からの往返絶えず、その爲めに奧州に於ける文武二道は振興し、住民の見聞も大に擴まつたから、足利末の奧州は之を鎌倉末の奧州に比べて、若干の進境を見たこと爭ひ難い。有力なる大名の城下には、未熟ながら文化の小中心も出來た。會津の如きは其尤なるものである。
 若し大彦命に關する傳説を、其儘に信じ得るならば、奧州の内で古るい歴史を有して居る土地といへば、先づ會津に越すものはなからう。又之を假托説とするも、それにしても會津の名稱は、書紀編述時代に既に知られて居るから、今日奧州にある諸都市よりも遙かに古るいこと明かである。蓋し會津の地たるや、四方山脈に取卷かれて居るにも拘はらず、奧州からして出羽と越後とに入り得る要樞であるから早くよりして可なりの繁昌があつたらしく、鎌倉時代の末には、此土地の平民の家に生まれた孤峰和尚といふが應長元年商舶に附して入元したとある。後醍醐天皇の歸依を博した、雲樹國濟國師といふのが即ちそれだ。斯かる人を出した事によつて、當時の會津の文化の、まんざらでなかつたことが推せる。其後戰國時代になつてから、會津は蘆名、伊達、上杉、蒲生等の名族の城下となつたが、主は頻繁に替はつても、會津の繁昌は益※[#二の字点、1−2−22]加はつた。といふのは前にもいふ如く地の利を得て居るからである。徳川時代になつて有力なる親藩を爰に置いて、奧羽の諸大名を監視させたのも、斯かる理由あればである。いま繁昌の一端を述ぶれば、蘆名家
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