ぬと同時にかえって新しき光彩を発揮したのである。都鄙の交渉の頻繁なるがごときは、まさにもってこの伝播の盛んなのを徴すべき有力なる証拠といえるだろう。
 かくいわばあるいは異論が起こるかも知れぬ。鎌倉時代はその論でよろしいとしても足利時代は乱世であるではないか。その文明にはあるいは藤原時代になかった伝播力が具わっているにもせよ、群雄は各地に割拠《かっきょ》し盗賊は所在に横行し、旅行の安全を害しつつあったではないか。しかして交通安全でなければ、いかなる文明も遠隔の地に波及すること至難ではあるまいか。伝播力があっても、壅塞《ようそく》の方が強くして、伝播の事実が現われ難いだろう云々。この説は一応もっともではあるが、実は考察の未だ至らぬ点がある。なぜかというに藤原時代に文明の波及が遅々としておったのは、一はその伝播力の強からざるにもよるが、また一には伝播に対する自然の障碍《しょうがい》の未だ除かれざるものが数多あったに坐する。しかしてこれらの自然的障礙は、鎌倉時代から足利時代にかけて次第に打ち勝たれ取り除けられた。これは交通を易《やす》からしめ、したがって文明の伝播に資したこと少なくない。文明の伝播に最も必要なる書籍の足利時代に入ってから頻繁に刊行されたということも伝播を促す原因を成すと同時に、伝播の可能である形勢を前提として始めて起こり来るべきことである。小人数の仲間にのみ行なわれ、一局地以外に伝播する見込みのない時代にたとい木版とはいいながらも、とにかく書籍の刊行がしばしば行なわれるはずがなかろう。まだ以上のほかに足利時代の交通を論ずるにあって忘れてはならぬことは、当時の交通は陸よりも海を主としたということである。徳川時代からして以来陸上の交通が安全になり便利になったその状態に馴致《じゅんち》し、その旅行に際しては、主として鉄道によりて海路を避け、やむを得ず乗船するとしても、いわゆる聯絡航路なるものを採って、なるべく乗船時間を短縮せんとする現在の日本人は、徳川時代以前の交通に関してややもすれば誤れる考えに陥りやすく、当時の田舎人が京都に往来するには専ら陸路により、あたかも徳川時代の関西と江戸との間の往来が五十三次を伝わったごとくに、つねに長亭短亭を一々に経過しつつ旅行したものの様に考えむとする。換言すれば五畿七道という建制順序に過重の意義を付し、京都からして東海、東山、北陸、山陰、山陽の五道に進発するのには、国尽くしに挙げてあるような順序で国々を通り貫いたものと合点したがる。かように考えれば、なるほど東山時代に交通の障碍が到る処に横わり、いかに強い力のある文明でも伝播ができず、日本の大部分が暗黒に想像されるのも無理はない。しかしながらかく想像したのでは、大内家と京都との関係のごときはまったく説明のできぬことになる。船舶というものの広く用いられなかったその昔のことならばいざ知らず、いやしくも航海の相応に行なわれるようになった以後の時代においては、日本のような環海の国にあって、交通が専ら陸路にのみ便《たよ》るというわけのあろうはずがない、海に風浪の難があるというかも知れぬけれど、陸上にも天然の困難がないでもない。兵庫なるもののかつて用いられたことのない日本において、坦々たる大道の存在を足利時代以前に想像することは不可能であるからして、狭隘と峻険とは共にしばしば旅客の忍ばねばならぬ苦痛であったろう。また陸には覆没の憂いがないにしても、旅舎の設備の不完全は、海上の旅行者の嘗《な》めずにすむところの欠乏であった。海には海賊の禍があるとするも、陸上とても群盗所在に出没した。この点においては海陸ほとんど択ぶところがない。されば乱世のために陸路が往々|梗塞《こうそく》を免れなかったとしたところで、海というもののある以上、足利時代の交通がはなはだしく阻礙《そがい》されたと考えるのは、少しく早計ではあるまいか。いわんや陸上の危険においてすら、足利時代必ずしも藤原時代よりもはなはだしかったとは、にわかに断言し難いことを考えると、われわれは強いて足利時代における文明の伝播を否定するにも当らぬことになる。
 論者は往々にして足利時代殊に応仁以後の群雄割拠の状態から概論して、これを乱世だという。また群盗の横行に徴してこれを秩序|紊乱《びんらん》の時代だとする。足利時代はその太平|恬熈《てんき》の点において、むろん徳川時代に匹儔《ひっちゅう》し得べきものではないが、しかしはたして藤原時代よりも秩序がはなはだしく紊乱しておったであろうか。足利時代の記録によって、京洛の物騒なことを数え立てる人もあるかは知れぬが、京都はその実平安朝時代から物騒な所であったのではないか。かつずっと古い時代の記録に地方群盗の記事の少ないのは、必ずしもその事実上稀少であったという証拠とは
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