せずに、これを土佐光茂に頼んだということは、簡単にこれを出来心とのみ解釈するよりも、彼の浄土教好尚のおもむくところに従ったのだとする方が、むしろ適切な説明ではあるまいか。けだし実隆は縉紳《しんしん》中の流行《はや》り役者であり、蔭涼軒は武家社交界の中心であった。しかして実隆は武家からも尊敬されて、しばしば柳営に出入した。しかるに不思議にも実隆と蔭涼軒とはほとんど没交渉である。『実隆公記』に蔭涼軒の名の見えているのは、たんに一か所だけであったと記憶する。両者の日記は、東山時代を説明する絶好の二大史料であるが、両者ともおのおの別世界の人であるかのように、自己およびその周囲を叙している。史家からして見れば、そこにまた面白味があるので、これを対照することによって、浄土的な実隆の面影も、さらにいっそう判明になり得るのだ。
実隆はその情緒を浄土宗的信仰によって養った。しかしながら宗教心のみで文学者ができるものではない。実隆がその詞藻を養うためには、またそれだけの修養を積んだのである。歴代の歌集をば、読みもし写しもしたのみならず、いわゆる和学の書で古典とも称すべきものは、ほとんど残りなく渉猟した。『曾我物語』や、『平家』や、『太平記』や、ないしはまた足利時代に流行した『秋夜長物語』の類にも通暁した。歴史物では『神皇正統記』を愛読した。漢籍においても相当の薀蓄《うんちく》はあったので、その師は今いちいちこれを尋ぬるに由がないけれど、菅大納言益長の文明六年十二月に逝去せるを悲しみて、「譜代の鴻儒当時の碩才なり」と称え、かつその孫和長とは特別に懇意にしておったのを見ると、年輩から推して益長などにも教えを受けたのかと思われる。次に師と頼んだというほどではあるまいけれど、長享から延徳にかけて、一勤という者の講義をたびたび聴聞したこともある。この一勤は厚首座といい、坂東から上京した博学の老僧であって、京都では宮方や縉紳の邸に迎えられ、漢籍の講義をしたものだ。実隆は彼からして『毛詩』、『孟子』、または兵書などの講釈を聴聞したことをその日記にしるしている。詩に関しては早くから稽古を始めたらしく、幼少のとき紹印蔵主という者に就いて、『三体詩』の読習を受けたことを、文明十年の日記に叙して、すでに十二年を隔てて今日相遭うといっているから、その『三体詩』の読習というのは、彼の十二、三歳くらいのころの話であったろう。何故に『三体詩』からして始めたかというに、これは当時流行の教科書であったからで、ちょうど徳川時代において、素読といえば『大学』からして始めたようなものだ。そのいかに流行したかは、明応四年に新板の出来たのでも知れる。その『三体詩』の講釈をば文明九年には、宗祇法師の庵で、正宗から、文明十一年に蘭坡から聴いた。翌年には同じく蘭坡からして山谷の詩の講釈をも聴いた。蘭坡和尚というのは南禅寺の詩僧である。また当時山谷とならんでもてはやされた東坡詩の講義をば、桃源周興から聴聞した。周興をば実隆は「間出の雄才なり」と称讃している。かくのごとく詩集に造詣のあったくらいであるからして、彼はまた時々作詩をも試みた。禁裏での和漢の席に列し、また勅命によって孫子※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]《そんしばく》[#「孫子※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]」は底本では「※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]子孫」]と※[#「嫡のつくり」、第4水準2−4−4]山《てきざん》とを題とせる詩を作ったことは文明十二年の日記に見え、永正三年には陳外郎から和韻を求められてこれを書し与えたとあり、同六年には雲谷の書いた北野天神の尊像に賛詩を題したこともある。これらはたんに例に過ぎないことはもちろんである。漢籍で愛読したものの中には、『老子経』や『唐才子伝』、『黄梁夢』等の挙げられてあるのを見ると、この方面においても彼の読書の趣味のすこぶる広かったことが知られるだろう。日記永正元年五月の条に、実隆が『源氏』と『蒙求』とを講義したということが見えるが、これがすなわち実隆の実隆たる所以で、まことによく彼の才学の特徴を示している。
『源氏物語』は、足利時代の著作物でももちろんなく、また足利時代において始めてもてはやされたのでもないが、しかも足利時代と特殊の関係を有すものである。鎌倉時代において『源氏』がかなりに読まれ、行なわれたとはいうものの、それは京都の一部縉紳間にのみに限られたもので、『源氏』はまだ日本の『源氏』ではなかった。そもそも鎌倉時代には、いろいろな型の文化が芽ざし、既存の文化と相競わんとしたもので、まだ『源氏』をもって日本文学唯一の典型とするまでには行かなかった。『源氏』が文学界において独歩の勢を成し、文学といえば『源氏』が代表する趣
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