ら、特別の興味を以て西洋の史家に研究せられて居る題目であるが、吾人は我國足利時代の土一揆を以て、正に此農民の亂と併せ考へて、互相發明する所あるべきものであると確信する。
斯くの如く論じ去り論じ來れば、鎌倉時代に於て既に宗教改革を成就した我國は、尚ほ足利時代を終るまでに、文藝復興、都市の勃興、海外遠征、及び平民勢力の發達等、凡そ歐洲の中世史に於て大事件と目せらるゝ殆ど總てのものを經驗し了つたと云て差支ない。事件によつては歐洲に顯著にして、我國に稀薄であるものもあるけれど國情の異る所、多少程度の相違のあるのは、當然のことである。して見れば歐洲の歴史に於て、十六世紀の宗教改革以後を斥して近世と云ふと同じく、足利時代に接する徳川時代を以て、我國の近世史となし、此兩時代の間に一段落を劃するを、研究の便宜上適當と認めざるを得ない。
最後に論じなければならぬのは、我國史に、特に足利時代といふ一時代を劃する必要の有無である。足利時代の終りについては、今論じた所に讓つて別に辯じないが、其足利時代と鎌倉時代との間に段落を設くることにつきては、少しく言を費す必要がある。鎌倉時代と足利時代とは、共に日本の
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